見出し画像

時間は結局ねーよ2

今日も見てくださってありがとうございます。

前回からの続きでございます。


点と点をつなげる

ジョブズの言葉ですよね


人生は瞬間瞬間の連続した出来事の積み重ねです。

過去と現在をつなげることは、3次元の世界における好き嫌いを超えた視点が必要不可欠です。

物事は好き嫌いだけで判断しては過去と現在は繋がらないかもしれません。

、、、、、、、、、、

余談ですが、私のアカウント名は「今日1日ありがとう」という少し変わった名前です。

さて、「今日」とはいつのことでしょうか?2024年5月14日かもしれませんし、2023年1月1日かもしれません。実際には無数の解釈が可能です。

例えば、「2010年1月1日ありがとう」あるいは「2011年1月1日ありがとう」、「2024年2月1日ありがとう」、そして「2038年1月1日ありがとう」に発せられた「ありがとう」という言葉は、口から発せられた瞬間では、どの時点の「ありがとう」なのかわかりません。

しかし、これらの言葉は人生の糸となり、過去から現在へと一本の線でつながれています。

私たちはその一本の線の上を歩んでいるのです。

つまり、点と点をつなげることは、過去と現在をつなげ、人生の連続性を意識することなのです。



今を生きるのそれっぽい本当の意味


**「今を生きる」**というフレーズは、しばしば耳にするかもしれません。しかし、現代社会では、過去、現在、未来という時間軸が存在する中で、意識的に実践するのは容易ではありません。

しかしもし、時間という概念が最初から存在しなかったとしたら、過去も未来も感じることはできないのかもしれません。

そうです。時間がないと仮定してみるのです。過去のことを悔やんだり、未来のことを心配したりする必要はなくなるのです。

「今に生きる」ということは、過去を後悔したり未来を心配するのではなく、現在の瞬間に全存在を捧げ、精一杯生きることを意味しています。

ですから、「今に生きよう」、「今に生きるように努力しよう」と考える必要はありません。「今しかないのだから、今を生きる」それ以外に選択肢はありません。


時間は未来からやってくる

時間は未来からやってくる」という考え方を、ちょっとユーモアを交えて説明しましょう。

まず、お饅頭を口の中に入れて味わうことを考えてみましょう。この一見シンプルな行為でも、「時間は未来からやってくる」と言えます。どういうことかというと、まずお饅頭を食べたい、あるいはお腹が空いたという欲望や思いが最初に生まれますよね。その後に、お饅頭を口の中に入れるという行動が続きます。

これは画像生成AIでも同じです。例えば、餃子の画像をAIに作ってもらいたいとき、まず頭の中で餃子を思い浮かべますよね。そして「餃子」と入力してAIに作ってもらいます。もし、餃子の画像を作ってほしいのに「饅頭」と入力したら、永遠に餃子の画像は出てきません。

同じことがChatGPTなどのAIにも当てはまります。最初に何を求めているのか、その未来のイメージを明確にしてから行動に移すわけです。

ですから、「時間は未来からやってくる」と考えるのも、一理あるのではないでしょうか。未来の思いがあって初めて、現在の行動が生まれるのです。

こうして、未来からやってくる時間の流れを意識することで、日々の行動も少し楽しくなるかもしれませんね。


引き寄せの法則なんてあんまり当てにならない

引き寄せの法則」というのは、なかなか現実的ではないようですね。高級車やお金、恋人を引き寄せるなんて、うまくいく人もいれば、そうでない人もたくさんいるでしょう。

しかし、この原理を少し広げてみると、意外な側面が見えてくるかもしれません。

例えば、この私の文章を今ここで読んでくださっている皆さんも、ある意味で「この文章を引き寄せた」と言えるのかもしれません。

例えばこの文章を2024年5月14日の13時12分に読んでいるとしましょう。その場合、まさにこの時間と瞬間に、この文章に出くわしているわけですね。

面白いことに、皆さんの現在の仕事も、実は自分で「引き寄せた」のかもしれません。好き嫌いはあれど、その職場に今いるのは、過去の何かしらの思いや行動が影響しているからこそ。私たち人間は、1日1日の24時間、1440分、86400秒の全てを、何かしら引き寄せながら過ごしているのです。

ではその「引き寄せ」の根拠は一体何なのでしょうか。それは過去の記憶や経験なのかもしれません。例えばChatGPTのようなAIに、1940年代までのデータしかプログラムされていなければ、AIはどんなに頑張ってもその年代を超えた知識を出力することはできません。

人間だって同じかもしれません。私たちが引き寄せているのは、過去の経験の積み重ねによるものなのかもしれませんね。ただし人間には成長する可能性があり、新しい経験を重ねれば、引き寄せるものも変わっていくでしょう。

少しユーモアを交えると、「読者は今この瞬間を引き寄せている。だからこの文章を読んでいるんだよ」なんて言ってみました。



最後に(ノーベル物理学賞)朝永振一郎氏の言葉

物理学の自然というのは自然をたわめた不自然な作りものだ。一度この作りものを通って、それからまた自然にもどるのが学問の本質そのものだろう。しかし、これでとらえられない面がものごとにはあるにちがいない。活動しゃしんで運動を見る方法がつまり学問の方法だろう。無限の連続を有限のコマにかたづけてしまう。しかし、絵描きはもっと他の方法で運動をあらわしている。
吾々は物ごとを有限の概念にかたづけてでなければ物が考えられないくせがついてしまった。

朝永振一郎氏 滞独日記より

これは何を言いたかったのかというと、勝手に解釈します。



有限な概念で捉えきれないもの

時間のような無限な存在は、有限な概念では捉えきれません。映画の一コマ一コマを見て、物語を理解しようとするようなものです。全体像を把握するには、時間全体の流れを見る必要があるのです。

そして、絵画のように自由に表現する。絵描きは、時間を静止画一枚で表現したり、過去・現在・未来を同時に描いたりします。まるで、夢の中で時間を自在に操っているかのようです。有限な概念にとらわれず、自由に表現することで、時間の新たな側面を描き出すのです。

人間が有限の概念から抜け出し、物事を全体として俯瞰できるようになれば、時間という概念も現代社会のように部分的に捉えられているものとは異なる意味合いを持つようになるかもしれません。

さーて
人類は時間に騙されていたのでしょうか?
それとも私が騙されたのか?


オチがありませんでしたが時間というものを楽しんでいただけたでしょうか?

見てくださってありがとうございました。




1年以上前の懐かしい投稿も時間がある時に見てくださいね






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?