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どんな私でも家族に守られていると感じたということ。

今日は、根底がとことん暗い脳内のため、今しみじみ思っているのは、「あぁ、私は生きたくないんだなぁ」ということ。
先日「いきる」ワードで未来を考えて嬉しくなった私もいたが、やっぱり基本は後ろに下がるというか、闇に潜っていた方が楽で好きなんだなぁ、と。

あぁ、みんなそうなのかな。
きっと出さないだけなのかな。
それでも、もがいてもがいてみんな生きてるんだろうな。


とも思うし、みんな生きたいから一生懸命生きているのかもしれないな、とも思う。


私がなんで生きてるのというと、正直分からない。分からないけど、生きている。母だから?妻だから?自分で生きるのをやめるのは罪だから?分からないけど、生きている。生きているから、生きているのだ。ただ、それだけ。


たまにくるこうした答えのない気持ちを仕方なく味わい尽くしてやりすごして、気が晴れたらまた新たに生きる。そうやって、みんな生きてるのかな。そうなのかな。ぐるぐるぐる。


今日は、こんな日で。
少し横になって、無になって、子どもたちの遊び声を聴いたらほんの少し温かかった。温かさの中にいる僅かな時間が心地よかった。生きているから、味わえたことだ。




…さっきのnoteの続きだけど、今日は私が落ち込みまくってるということを正直に帰宅した子どもたちに伝えたら、息子にこんなこと言われた。「人それぞれだからね、お母さん(^^)」そして、娘は娘であたたかい眼差しと優しい言葉で私をたくさんで包んでくれた。
あぁ、やっぱり家族に守られているな、と思う。ありがとう、しか言えない。こんな母(敢えて、こんな母、と書く。)でも、優しく認めてくれる。ありがたいし、ありがとう。私はここにいていいんだ、と思う。居場所がある、と。

また、泣けてきた。
今日は、泣く日。
泣けるのって嬉しかったりもする。

それから、
この一連のことをこうやって書いて出す日、とも決めた日。


終わり方が分からなくなっちゃったな。まっ、いっか。


さて、夕飯をつくろう。
今夜は、子どもたちが大好きなあったかいうどんにしよう。

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