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#13 誤解の少ないコミュニケーション②

前回は「文字を正しく読む」ということに触れたが、今回は「文章を正しく読む」ということに触れていこうと思う。

そもそも書き手側が文章を正しく書いていることが前提だが、書いてある事の意味を正しく理解する、という事である。前回に引き続き、コミュニケーションの基礎という内容だが、まるで国語の勉強のようになっている気がする。それもそのはずで、我々は、正しい日本語を使う術を義務教育のうちに習っている。国語や現代文のテストを思い返してほしい。日本人に対して日本語についての問題というのはちゃんちゃらおかしいと思っていた。文字や文章を正しく読む事が出来ていれば、(記憶系の問題を除き)ほぼ満点が取れるはずだ。「満点が取れていない」=「日常的なコミュニケーションで何かしらの欠陥が生まれる可能性がある」ということである。

高卒の僕は、高校入試の現代文は満点だった。

僕がフォローしている方のツイートとそのリプで面白いやり取りがあったので、少し書き方を変えて引用させて頂く。

私も、彼氏とゲーム、とかやりたいな。
↑彼氏さん出来たの?

このやり取りがすれ違っている事が分かるだろうか?

僕は、前者のツイートを見た時に、

「彼氏はいない」
「彼氏と、何かしらを一緒にやりたい」
「私以外の誰かが恋人とゲームをやっている」

という情報を得られたが、実際のリプは、彼氏が出来たのか?を尋ねる問いである。この問いは、

「私も彼氏と、ゲームとかやりたいな。」

に対してなら成立している。

この書き方から得られる情報は、

「彼氏がいる」
「彼氏と、何かしらを一緒にやりたい」
「私以外の誰かが恋人とゲームをやっている」

となる。区切り方一つで、得られる情報が大きく変わっている。これを理解出来ていれば、上記のような二度手間のやり取りは生まれなかったし、もっと先のコミュニケーションが取れたはずである。今回は区切り方だけを取り上げたが、ここに、文節の入れ替え、なども組み合わさってくる。これは全て義務教育で習っている事で、誰しもが当たり前に使いこなしているものだ、という認識であってほしい。これを理解している人と理解していない人のやり取りには、噛み合わない部分が生じてしまう。しかも、後者は、噛み合っていないという自覚が無いのが厄介で、毎回噛み合わせるために時間を費やすのも面倒で、もうこの人とのコミュニケーションに時間を使うのは無駄だ、と匙を投げられてしまっているかもしれない。

これに対して「私は幼少期から気持ちを言葉で伝えるのが苦手だった。」などと言う人もいるが、はっきりと言うと、ただの勉強不足だ。誰しも生まれつき言葉が話せるわけではないし、文字が読めるわけでもない。成長の過程で、自ずと覚え、勉強をして、本を読むなどして身に付けていっている。幼少期に勉強を怠っていたら、大人になった時に差がつくのは当然である。問題はここではなくて、大人になった今、何故幼少期の事を言い訳にしているのか、という事だ。苦手だった、という自覚があるのなら、途中で勉強をするチャンスはいくらでもあったはずで、言い訳をする暇があるなら今からでも勉強をするべきだ。その言い訳は誰にも響かない。ただ自分を正当化するための自己防衛でしかない。むしろ「お前らは幼少期から、何の努力も無しに言葉で気持ちを伝えられたのだから、今も言葉が操れて当たり前だ。」という失礼な意味合いに捉えられかねない。

結局は、努力をしているか怠っているかの差だ。

先天的にハンデを負っている人は除く。

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