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暁山瑞希 イベスト考察 偏見とマイノリティマウント〜 

(※当記事は「KAMIKOU FESTIVAL!」のネタバレを多分に含みます。イベントストーリー未読の方はまず読んでから記事を読むことをお勧めします)

こんにちは、ありあです。
瑞希バナーイベ始まりましたね。

(アンニュイな表情似合いすぎ……)

さて、イベント開催1日が経ちイベントストーリーを読破した方も多いと思います。なので、一番旬なタイミングで瑞希推しの一人間の考察と感想を投稿できればと思い、早速記事にした次第です。

まず今回のイベストですが、個人的にはほんっとうにしんどかった(良い意味で)です。
瑞希の周りに人が増えて、瑞希自身も変化して、感傷に浸っていい感じに終わってますけど!

1話の回想シーンなんか呼吸止まりました。

右ボタン……。まさか明言化されなくともここまで直接的な表現が出てくるとは……。
きついですね……。しかも、これでまだ過去の全容は明らかになっていないのでこれから先も瑞希の過去と向き合っていかなければいけないのが……。

この時点でだいぶしんどかったのですが極めつけは5話のこの台詞ですね。

こんな台詞、瑞希から聞きたくなかったです……。いや、本音を言うとめっちゃ聞きたかった台詞なんですけど、いざ言われるとかなりしんどいですね。

とまあ、しんどさを挙げると暇がありませんので、早速考察に入っていきます。

I なぜ瑞希は杏の誘いを断ろうとしたのか

まず、このストーリーが私にとってなぜしんどいものになったかということです。

端的に言うと瑞希に「マイノリティ」であるという自覚があることが明言されたこと、そして「瑞希の弱い部分」が露呈されたことです。

まずは1話の回想シーン。

杏から文化祭に誘われた時、ユニスト9話で瑞希が投げかけられた言葉を瑞希は思い出します。そして、この言葉を理由に瑞希は誘いを断ろうとします。

ただ、この言葉に関して瑞希はユニスト9話内でこのように言ってるんですよね。
もしこの言葉が本当で、『慣れ』ているのであれば、配慮の欠けた他人に言われたことなど気にせずに学校に来ると思います。
杏に誘われても行こうとしない理由になるほど、瑞希にとって「他人の言葉」は重いんですね。

それほどにまで「他人の言葉」が重くなるのにはいくつか理由があると考えられます。その中で個人的に提唱したいのは「偏見の内在化」です。
簡単に言うと、人は差別や偏見の眼差しで見られること等を経験すると、他者も同じような差別、偏見を持っていると思い込んでしまうことですね。

これに関しては『その着せ替え人形は恋をする』6巻のこのセリフが端的に表しているかなと思います。

(2枚目と3枚目は間が数ページ空いています)

一度言われた「気持ち悪い」という台詞が主人公にとって深い傷であったために、理解なき他者も「男がメイクできるのは気持ち悪い」と思っていると決め付けてしまっています。これが「偏見の内在化」です。

イベスト内で瑞希はこのように考えます。
おそらく学校に登校すればかなりの確率で先の回想のような言葉をかけられた瑞希にとっては、過去の経験から「今日もそうなるだろう」という無意識の「偏見」は生じて当然です。ましてやそういう言葉を投げかけてきた人間がいる場所なのですし。

ただ、この姿勢って星2サイドストーリーの瑞希の「『理解』してほしい」という方向とは真逆なんですよね。歩み寄りをするどころか、自分から離れていっています。
瑞希と他者の溝がどんどん深くなっていきますね。

しかし瑞希のことをよく『理解』している杏の言葉で瑞希は杏の配慮を感じて文化祭に行くことになります。


ただ、ここでも「引きずる」という言葉が使われていることから、瑞希にとってユニスト9話でかけられた言葉は非常に強く瑞希に蓄積していることがわかります。

瑞希は偏見や差別に対して今までの予想以上に過敏でそれを自己の中に蓄積しています。
そしてこの蓄積が瑞希と他者の『理解』を妨げてしまっています。この瑞希の視線は後々のストーリーにも影響していきます。

Ⅱなぜ瑞希はクラスTシャツを着なかったのか

次にもう一つの軸となる「クラスTシャツ」の話です。
クラスTシャツの話が出るのは1話後半です。

瑞希の分もあるから着替えたらと誘う杏に対して瑞希は「人が多いから」という理由で断ります。
この理由がなんとも意味深な気がするのですが、それは一旦置いておきます。

基本クラスTシャツって生徒のカンパによって作られてると思います。なので瑞希の分もあるのであれば誰かがその費用を持ったことになります。しかも杏は「確か」と言っていて費用を持ったわけではなさそうですし。

少なくともクラスの中には瑞希を受け入れる土壌はしっかりできているんですよね。
瑞希が受け入れられるようなものかは別としてですが。

だからこそ、このクラスTシャツを瑞希が着ないことはとても示唆的になります。

「格好によって浮いてしまう」というおそらく瑞希が最も経験してきた現象がこのクラスTシャツの拒否によって引き起こされます。

クラスTシャツを着ないことで瑞希は半ば自動的に「マイノリティ」に区分されてしまいます。
文化祭においてはクラスTシャツを着た人たちが「マジョリティ」で着てない人間は「マイノリティ」だと可視化される状況になってしまっているのです。

そしてそのマイノリティ化を「今更」と捉えて諦めたような表情をする瑞希。

ここまで読んだ時鬱シナリオか??って思いました。

そして、5話で果たされるクラスメイトA・Bとの再会。
過去の陰口を思い出し一瞬表情の曇る瑞希ですが、すぐにそれを押し殺して明るく話し始めます。
その折にクラスメイトは制服でいる瑞希にこんな言葉を投げかけます。

これに対して瑞希は杏に答えた時と同じ理由を言います。

それに対するクラスメイトAの反応がこれです。

では、ここで比較のために杏の瑞希への返答を見てみましょう。

両者の返答前半に特に大きな差はありません。
どちらも瑞希の選択を尊重し、せっかく作ったんだからなどと押し付けようとはしていません。
ならば、瑞希にとって「不快」なのはその後の言葉になるのでしょう。

しかし、その後の言葉は「お揃い」が「ベタすぎてダサい」というもので、この言葉自体は瑞希に対する侮蔑を含むものでもなければ瑞希の生き方を否定するものでありません。むしろ瑞希の行動に対して「共感」を示そうとしている言葉です。

お揃いってダサいし制服のままもいいよね、と普段から好きな格好でいる瑞希を励ますかのような言葉です。

しかし瑞希はこれを受け取りません。
なぜでしょうか。

1点目は過去の問題です。
瑞希はクラスメイトA・Bの過去に表では理解している素振りでも、裏では陰口を言っているという性質を知ってしまっています。
ですから、表向きはこのような言葉をかけてくれていてもそれが本心ではないと考えてしまうはずです。

2点目は言葉自体に全く共感できなかったという点です。
先述の通り、クラスメイトの言葉は瑞希への共感を示そうとした言葉です。ですが、瑞希はその言葉に対して以下のように述べます。

「お揃いになれるから言える」
文化祭という場で「お揃いになれる」人間は瑞希にとって「マジョリティ」、「普通」の人間です。「お揃い」になることのできないマイノリティの瑞希には到底わからない感覚です。

瑞希はクラスメイトAの言葉を聞いて、所詮マジョリティの人間は自分のこと、自分の悩みを『理解』できないと悟るのです。

この、マイノリティの人が自身が悩んでいる悩みはマジョリティの人間には理解できず、より深刻な悩みである、と決めつけることを私は〈マイノリティマウント〉と呼んでいます。

これに関しては『ななしのアステリズム』第5巻の台詞が典型的です。

(琴岡好き……)
「抱えてるものが違うから一緒にしないでほしい」
これがマイノリティマウントの最も根本にある考えだと思います。

瑞希は直接的な表現をとりはしませんでしたが、「お揃いになれるから言える」という言葉でこのマウントをとっています。

これは、瑞希というマイノリティとクラスメイトというマジョリティの決定的な「訣別」です。

このマイノリティマウント、描いてる作品少なくいんですけどめっちゃ好きなんですよね、こういう描写のある作品知ってる方教えてください。

そしてこの訣別を機に瑞希は「屋上」へと向かいます。

この「屋上」という場も象徴的です。
瑞希の過去の文化祭の経験もそうですが、一般的に「屋上」が馴染めない人の居場所として創作の中で描かれていることが多いです。
つまり、「屋上」へ向かうのは瑞希が「孤独」を感じているからに他なりません。

文化祭で人がたくさんいるのに孤独。周りに同年代がたくさんいるのに孤独。

中学の時に感じたであろうものと似た孤独が瑞希を「屋上」へと向かわせます。

そしてその「屋上」にはかつてのように「孤独な仲間」の類がいます。

ただし今の類が瑞希と異なる点があります。
それは類は「クラスTシャツを着ている」ということです。

かつての「孤独な仲間」は「孤独じゃない仲間」を見つけ、文化祭を謳歌しています。

一方で「類には」できた「仲間」は自分にはできていない、ということを実感し瑞希は肩を落とします。

しかし、類に指摘されニーゴのメンバーを思い浮かべ、「仲間」と言うには「しっくりこない」彼女らが自身にとって大切な存在であることを再認識します。

「仲間」と言うには「しっくりこない」というのが少し不思議な表現なので、少し考察を加えます。
神山高校という瑞希の生活圏に基本的にニーゴメンバーは侵入しません。

瑞希にとっての仲間や友達はその圏内にいる人間を指しているように思います。杏は友達と呼んでいますし。(絵名のことはそれなりに深いと曖昧な表現をとっています)

「クラスメイト」がクラスの仲間を表し、「サークルメンバー」がサークルの一員を表し、「サークルメイト」という表現はないことからも、瑞希にとってニーゴの面々は「仲間」とは表現できない間柄になるわけです。

学校で孤独であっても、学校外ではニーゴがいる。だから瑞希は「馬鹿みたいに騒ぐ」人たちのことも「許せる」のです。たとえ学校で不当な扱いをされても、瑞希にはニーゴという場があるから。
かつての「孤独な仲間」とともに後夜祭が始まる校庭を眺めて、瑞希は自分の変化を実感します。

Ⅲ なぜ瑞希はクラスTシャツをアレンジしたのか

そんな瑞希を許さないのが白石杏という存在です。
後夜祭を眺めるだけで済まそうとする瑞希を彼女は連れ出そうとします。

瑞希の気づかいを悟り、自分の願いを忌憚なく伝える杏に瑞希は後夜祭への参加を決めます。

そこで杏はクラスTシャツを持ち出します。「人が多い」と言って着替えるのを断った瑞希の言葉を受けて、「人も少ないし」と付け加えて。

この言葉をつけたのも杏の配慮ではないかと考えられます。
おそらく瑞希の着替えは注目を集めてしまいます。だから文字通り「人も少ない」だけでなく、気にする人がいないということを言外に伝えようとしているのだと思います。

ここまで述べてきた通り、「クラスTシャツ」を着られる人間は文化祭においてマジョリティです。杏はこの提案によって、無自覚に瑞希をマイノリティから引き出そうとします。

それに対する瑞希の返答は「あ……」、肯定とも否定とも取れません。しかしクラスTシャツを着るということに対して抵抗があることは確かでしょう。それは、クラスTシャツを着ることが自分を殺してマジョリティと迎合することに似ているからに他なりません。

奇しくもクラスメイトAと同じ「ダサい」という言葉でクラスTシャツを一蹴する彰人。

これを受けて瑞希はクラスTシャツのアレンジを思いつきます。

マジョリティに迎合するのではなく、自分を表現するために。「お揃い」になれなくとも、一緒に楽しむために。

普段から格好で自分の在り方を示してきた瑞希、そしてそれを後押ししてくれる杏、彰人、冬弥、寧々、司。そして、類がいるこそ、クラスTシャツをアレンジして、クラスメイト共に楽しむ道を、瑞希らしく「カワイ」くいる道を選べたのです。

この後、瑞希が後夜祭を楽しんだか定かではありません。
ただ、第8話のタイトルを見てみれば自ずと答えは出てくるでしょう。

瑞希にとって、初めての「瑞希の文化祭」だったのですから。

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