見出し画像

第10回アガサ・クリスティー賞優秀賞受賞に至るまでとその後①

 第10回アガサ・クリスティー賞優秀賞を受賞し、『ヴェルサイユ宮の聖殺人』でデビューしました宮園ありあと申します。
 勿論ペンネームです。
 名前の「ありあ」は「アリアドニ・オリヴァ夫人」(名探偵ポワロより)から拝借しました。(どうでもいい情報その①:映像版のオリヴァ夫人@ゾーイ・ワナメイカーが大好きで、私のベストオブポワロは「象は忘れない」です。オリヴァ夫人大活躍です)

 次に姓の「宮園」ですが、そもそも私が小説家を志したのは、皆川博子先生が書かれた『死の泉』との出会いがきっかけでした。当時母を亡くしたばかりで、今となってはなぜその本を手に取ったのかさえ覚えていませんが、読み進めるうちにあの幻想的な世界観にのめり込んでいき、魂を鷲掴みにされるとはこのことだと全身が震えました。同じ「み」から始まる姓でデビュー出来たら、先生の御本の隣にひっそりと並べて貰えるかと思いまして。

 旅行と宝塚歌劇、海外ミステリ小説とドラマ、ミュージカルと演劇と映画、紅茶と和洋菓子が好きで、人生100年の折り返し地点を過ぎたアラフィフです。最近では、アラフィフ、アラ還デビューも珍しくなくなりましたが、受賞の連絡を受けてから校了までに2回(一度は緊急)も入院した新人もそういないだろうからと、そのあたりも含めて、投稿するに至った経緯とか、あらすじよりも一歩踏み込んだ内容とか書き綴ってみようかと思います。
 
 『ヴェルサイユ宮の聖殺人』はタイトルとあらすじのように18世紀フランス・ヴェルサイユ宮殿でおきた殺人事件をめぐるミステリです。当然のように日本人は一人も登場しません。
 
 もうかれこれ十年程前のこと。
 どうせなら大学院まで学んだフランス近世史の知識を生かし、歴史小説でも書こうかと、何ならまだ日本であまり取り上げられていない人物をと選んだのが「ランバル公妃」でした。下の絵画の中央の御方ですね。

画像1

 この方、トリノで生まれフランスの王族ランバル公に嫁ぎますが10代で未亡人となり、後の国王ルイ16世と結婚したマリー=アントワネットに気に入られて王妃の「総女官長」に抜擢されます。しかしアントワネットの関心はポリニャック伯爵夫人に移り、寵愛を失ったランバル公妃は追われるように宮廷を去りました。そしてフランス大革命勃発後、多くの貴族達がヴェルサイユと国王一家を捨てて外国へ逃亡する中(ポリニャック一族はいの一番に逃げました)、公妃はアントワネットとの友情と忠誠を忘れずに亡命先から舞い戻り、最後まで付き従って1792年の九月虐殺の際に暴徒達に惨殺されます。

 なかなか悲劇的でドラマチックな一生です。
 参考文献にとランバル公妃の伝記を数冊取り寄せましたが、読み進めていくうちに、なんだかアントワネットが気の毒に思えてきました。なぜかと言いますとこの公妃様、ほんと使えない方だったのです。これはいわゆる「お友達内閣」のような人選をしたアントワネットにも責任はありますが、「総女官長」とは江戸城でいえば大奥総取締役。スーパーキャリアウーマンのように采配をふるえる才気煥発な女性でないと務まらない大変な役職でした。それなのに、晩餐会の手配もおぼつかず、いつも王妃付きの女官や侍女達と諍いをおこし、何かある度に神経を高ぶらせては気絶して、ついにアントワネットにも見限られてしまいランバル公妃は宮廷を去ります。

 で、宮廷を離れている間に何をしていたかといいますと、特筆することはなく、義父のパンティエーヴル公爵に付いて領地の城を転々としてはいつもめそめそ泣いて落ち込んだり、気絶したり。とてもじゃないですが、「主人公」に据えて面白い話が書けると思えません。そこで「恋愛小説」にシフトしてみようと試みましたが、相手の男性には寄生虫のような優男しか浮かびません。誰がこんな話読みたがるでしょうね。私自身も書いててぜーんぜん楽しくないのに。当然のごとくこの案はお蔵入りとなりました。
 まさか十年後に大幅リニューアルされて、受賞するとは思いもよらず。

②に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?