わたしだって 上瀬谷を追うよ!
コロナの陰で
海軍道路の桜伐採が始まっていた
2月7日 久しぶりに上瀬谷を訪れました。
今回は JAの「ハマッ子直売所 瀬谷」に 瀬谷うどの出荷時期を訊きに行ったのですが
せっかくだから 桜の様子を見ようと
海軍道路に入った途端
「樹木伐採のお知らせ」が目に飛び込んで来ました。
幹に自らが伐採される「お知らせ」を括りつけられた桜の古木、根元を見ると殺虫・殺菌のためか
それとも活力をつけるためか 薬剤がいくつも打ち込まれていましたが 内部は朽ち始めていました。
ショックを受けながら 通信隊跡地に向かって歩き出すと、すぐに 車道に立てた工事中の看板を片付けている作業員、続いて枝を全て払われた桜が現われました。3分の1程の高さまで伐られて 枝と幹はトラックに積み込まれています。
その後 ゲート前を過ぎ、上瀬谷小学校入口の交差点でUターンして戻る道のりでも 新しい切り株を何本も見かけました。
海軍道路の桜 伐採するしかないの?
海軍道路の桜並木について 横浜市と地元の住民が
「海軍道路の桜並木に関する懇談会」で話し合いをしています。
下は昨年11月に開かれた第3回懇談会に出された
第1、2回懇談会で話し合った内容の資料です。
広大な上瀬谷通信施設の脇を通っているとはいえ
海軍道路は有名な渋滞スポット
道路まで張り出した桜のトンネルは 地元住民にとっては愛着のある存在とばかりは言えないようです。
伐採済みの切り株を見ても 根元まで腐食が進んでいる物も有り 確かに倒木の危険性もあります。
が、一方で「海軍道路の桜並木に関する懇談会」では
再び桜を植える事を重視する声もあり複雑です。
(候補に上がっているのはソメイヨシノ以外)
ソメイヨシノは寿命が短い?
江戸時代末期に江戸上駒込村染井(現在の豊島区駒込)
で オオシマザクラとエドヒガンを交配させて誕生した ソメイヨシノは 明治政府の推奨でまたたく間に
全国に広がりました。
桜の中で最も速く、大きく成長するので全国で新しい桜の名所を作りますが 反面、病虫害に侵されやすく樹齢40年を超える頃から衰え始めます。
このため 近年では「お花見の名所がなくなってしまうのでは?」と度々話題に上っています。
横浜市によると 海軍道路のソメイヨシノは
昭和50年~58年頃に植えられたものだそうなので
一番新しい株でも39年経っており 全体が衰退期に入っていると言えるでしょう。
けれども まことしやかに囁かれている
「ソメイヨシノ60年寿命説」には
異論を唱える専門家も多いようです。
誕生からまだ100年あまりしか経っていない
ソメイヨシノは確かに病虫害にはあいやすいですが
「人が環境を整えることにより生き永らえることが可能である」という説が有力です。
横浜国際園芸博のメインテーマ
上瀬谷通信隊跡地で行う、とされている横浜国際園芸博覧会のメインテーマは「幸せを創る明日の風景」
です。
Wikipediaによると「園芸」は次のように定義されています
植物を育て楽しみ
生きた植物を芸術の絶対的素材とするならば
また 農業の一分野や造園の意味を持つならば
「国際園芸博覧会」を開催するために
樹勢が衰えたとはいえ長年親しまれてきた
桜を切る事は大きな矛盾ではないでしょうか?
桜の樹を看取り
また命を繋ぐということ
海軍道路の環境も桜を植えた頃とは変わり
上瀬谷通信隊は無くなり、住宅は増え、
交通量も増えました。
倒れる可能性や電線にかかる可能性がある木が
伐採されるのはやむを得ないかも知れません。
けれども 機械的に切り倒され ゴミとして処理されるのではなく、大切に看取り 「園芸」の定義に従って 芸術あるいは農業の一部として活用される道を見出してほしいと思います。
また、伐採された切り株から脇芽が沢山芽吹いているのを見ました。
これこそが「明日の風景」を創るのではないでしょうか?
「幸せを創る明日の風景」をメインテーマに
国際園芸博覧会を開催するのならば
今ある桜並木をどう終わらせ
桜の命をどう繋ぐのか?
新しく整備する海軍道路の街路樹を長い間
住民と共にどう守り育てて行くのか?を
徹底的に考える必要があると思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?