旧、合虫、新ムシの話

どうも、前からちょいちょいお気持ちとか色々書いてたけど結局好きな事書いた方が筆が進む事に気付いたアリエスです。

さて、タイトルの通り今回はムシキングの話をします。自分は旧ムシから入って旧ムシは2004年〜サービス終了間際の2009年まで、合虫は2010年からサービス終了の2011年まで、新ムシは2015年から2016年後半頃まではやっていました。

はい、ほぼ全て初期の方からサ終間際までやっている事になります。しかし自分はあくまでも旧ムシキングのファンであり、合虫、新ムシのファンかと言われると少し違います。
まあ、合虫か新ムシのいずれかが復活したらそれはそれで自分はきっとプレイする事でしょう。

こんな事を言うのもどうかと思いますが、自分は旧ムシ程合虫や新ムシに対して思い入れが持てていないのです。というのも、普通に考えて幼稚園児〜小学校高学年の頃に経験した旧ムシの6年と中高生くらいになってから経験した合虫や新ムシの2年くらいでは時間の密度が違い過ぎるのです。幼い頃の6年間と言ったら、体感時間としては大人で言う所の十数年の年月と同じくらいでしょう。

つまり、旧ムシ原理主義者だからとか、合虫や新ムシが気に食わなかったというよりは単純に自分の歳の問題で思い入れが持てていない。これはとても悔しい事だと思っています。


合虫に関しては旧ムシが終わった直後にやっていたので、実は割と旧ムシと同じようなノリで楽しくやってました。しかしそれから
新ムシ登場までの5年間は、自分が良くも悪くも大人になるのに十分な歳月でした。

もし自分が小学生くらいの時に新ムシが出てたとしたら、Vガジェを見たら喜んで飛びついてたし、1500円くらいのVガジェやSSR入りのスターターセットが発売された日には泣きながら親に土下座して買ってもらっていたに違いありません。しかしその頃の自分はもう高校生。

もうあの頃の、コンビニやデパートで遊ぶ
たった1〜2プレイに週末の楽しみが集約されていた子供の頃とは変わりました。ショーケースに飾られていた憧れの最高レアやスターターセットはその気になればネット通販でいくらでも買えたし、もっとムシバトルしたいと思えば100円玉どころか万札を崩して無限に遊んでいられた。

良く言えば何でも叶えられた、悪く言えば思い通りになり過ぎた。旧ムシの頃に連コしていた大人もこんな気持ちでやっていたのでしょうか。ムシキングが違う物へと変わったから愛せなくなったとかでもなく、ただ自分が大人になってしまっただけです。もちろん合虫も新ムシも楽しく遊ばせてもらった事には変わりありません。しかしそれでも、あの頃の旧ムシを求めてしまうのはこの思い入れ故であり、これから先の未来に新しい形の
ムシキングがいくら出ても満たす事の出来ない感情なのでしょう。

だからせめて、そのままの形でまた遊べるようにして欲しいと願ってしまう。例えそれが老害の思考と分かっていても。自分の中でムシキングは2010年の完結編で終わりました。
それ以降の未来にムシキングが新しく出た時、自分はそれを旧ムシキングの子孫として捉えて楽しく遊ぶでしょう。今までもそうしてきたし、これからもきっとそうします。でも旧ムシそのものではない以上、やはり寂しさが拭いきれない。なんというか、ままならんなぁ…と思いつつ、この辺で筆を置くことにします。

では、また






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