ここ最近の強い思想やらについて思うこと

どうも、集めてるム〇キングカードの種類が3000種類を突破しそうになってるアリエスです。

ここ最近、反出生主義やらフェミニズムやら、ミソジニーとか強めの思想が蔓延ってますが、彼らが何故強い言葉で他人を攻撃するのか自分なりの答えが出たのでつらつら書いていきたいと思います。


歪んだ認知と承認欲求

結論から言っちゃうとこれです。恐らくですが彼らは実のところ自分達の主張が正しいかどうかには興味が無く、自分達の言ってることがまかり通る事で「人に理解された」「人に認めてもらえた」という実感を得たいのでは無いかと考えています。では何故その為に他人を糾弾し、文化や考えを破壊しようとするのか。今から書く内容は彼らの目的が他人から認められ、理解される事と仮定しての考察です。

行き過ぎた正しさの追求が招いた結果

一般論として世の中に認められる主義主張とは正しいものでなければなりません。正しくなければ納得されない事が多い。つまり、彼らからすれば自分達の主張が正しいという前提で声を張り上げなければ相手にすらされないと思っているからです。そして、正しさを主張する以上は間違っている概念が無ければならない。悪役がいなければヒーローが成立しないのと同じように。

ツイフェミと呼ばれる人達の主張で例えれば、オタクやその文化は「性的搾取をする悪魔」で自分達の主張は「オタクという悪魔から女性を解放する正義の味方」なのですが、実際のところはオタク文化を好む女性も普通にいますし、そもそもオタクもその文化も(少なくとも法律的には)悪でもなんでも無いわけです。なので正義のフェミニズムVS悪のオタクという図式は当然成り立たず、世間からすれば特に何もしてないオタクをボロカスに叩き貶めるヤバい人達にしか見えないので、人に理解されるどころか避けられ叩かれます。そうしていつまでも「人に認められる」という目的が達成出来ないので永遠に何かを叩こうとします。では何故オタクが選ばれたのか。今まであまり抵抗しなかったのもあるでしょうが、何より彼女達にとって叩く事に罪悪感が無かったからではないでしょうか。

攻撃的な思想に隠れた悲痛な叫び

これは何もツイフェミの方々に限った話ではありません。他の攻撃的な思想を持つほとんどの人達に言えることです。自分の嫌いなものや受け付けない物を敵とみなし叩く事で自分達は間違っていない、正しいんだ!だから自分達を認めてくれ、分かってくれ!という悲痛な叫びを他人への攻撃でしか表現出来ないのではないでしょうか。もちろん、だからと言って他人を攻撃していい理由にはなりません。私の考えが合っていたとしても、どの道彼等は素直に助けを求められないばかりに他人を傷付ける最低な嘘つき野郎共という事になります。ですが、もしも誰もが人に寄り添い、優しく出来るほどのゆとりや心の豊かさがあったなら、それを可能にする社会だったなら、そうしたらまた違う未来があったかもしれないとも思っています。そしてそのためには一人一人が変えていかなければならないとも。少なくとも、彼らが嘘をついたり、他人を攻撃してまで認められようとしなくても一人一人が自分の幸せを見出し、作り出していければと願うばかりです。

さて、今日はこの辺で。

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