私のVRCの世界観

どうも、VRC始めて4年くらい経ったアリエスです。今日は自分のVRCの世界観についてお話していきたいと思います。

まず、自分がVRCを始めたのは2020年の7月頃でした。今よりも人がおらず、イベントやワールドの数も今と比べれば随分少ない。

JOIN戦争なんて言葉もありません。開始数分でフルインスタンス近くまで集まるイベントもあるにはありましたが、それでも入ろうと思えば入れるくらいです。じゃあ私達は何をしていたかといえば、フレンドと焚き火を囲んで駄弁る。そんな時代でした。ちなみに焚き火を囲むワールドはマジであります。自分達で火をくべないと光源が消えて真っ暗になります。

昔話はさておいて、本題に入りましょう。
私にとってVRCとは何か。簡潔に表すなら「2周目の人生」でしょうか。

前提としてVRCもとい仮想世界は、恐らく一般市民が現状入手出来る中で最も現実に近い意思疎通が出来る手段であると考えています。 
ペンで筆談も出来れば、SNS同様にチャットボックスでの会話も出来る。特筆すべきは声での通話に加えてVR上で身振り手振りによっても表現が可能なところでしょう。アバター越しであることを除けば、ほぼ現実同様のコミュニケーションが取れます。

そしてVRCはゲーム単体として見た時、率直にいえばそこまで面白いものではないです。
VRCはその魅力を「現実に近いコミュニケーション」にかなり依存している部分があります。
あくまで人間ありきのコンテンツなのです。つまり何が言いたいかというと、この世界はどうあがいても自分で魅力を見つけなければならない。
ただし、この「魅力を見つける」ハードルがかなり低い。現実で見れば取るに足らない小さな幸せを、より大きな物として捉えやすい世界でもあるのです。

大人になると意外と難しい「友情」を結ぶ

少し、子供の頃を思い出してみてください。
大人になった今から見れば取るに足らないような、「そこまではしゃぐことでもないだろう」と思うような幸せのひとつやふたつはあったのではないでしょうか。友達とゲームして勝ったとか、
一緒に遊んだとか。

大人になるにつれて人生の感動は薄れていくものです。歳を取るほどに背負う責任や義務に追われ、親しかった友人達はそれぞれの人生を歩んでいき疎遠になっていく。孤独を埋めるため、あるいは日々の疲れを振り払うために周囲の人間やお金を使う事ばかり覚えて、いつの間にか感覚が麻痺していく。なまじ子供から見たら夢みたいな事が出来る程の財力があるだけに、尚更多少の事では喜べない。

VRCはそんな感覚が麻痺した大人に、子供の頃確かに経験した純粋な気持ちを思い出させてくれます。たとえばバトルディスク。あれは子供の頃に「ドッヂビー」という似たようなフリスビーがありました。大人になった今、現実世界で友達や知り合いに「ドッヂビーやろうぜ!」なんて言っても大体「何言ってんだお前」となるのが関の山でしょう(ドッヂビー好きな方ごめんなさい)。ではVRCではどうでしょうか。ある程度人が集まってて暇だったら割とノリノリでやってくれるに違いありません。なんなら遊んだ後にフレンドが増えるまである。「一緒に遊んだ後は友達になれる」大人になると意外と難しいそれをVRCは叶えてくれます。

「思い立ったが吉日」誰でも主役になれる

ワールドやアバターを作ったりするのはともかく、イベントを開くのは割と誰でも出来ます。
現実で催しをやろうと思ったら面倒な手続きをしたり、場所を確保したり、人を集めたりとかなり手間がかかりますが、VRCなら(専用のワールドを作るとかじゃなければ)事前に告知して、当日インスタンスを開けば即完了。それに集まる動機は何でもいいのです。「左利きの人の集会」「同じアバターを使ってる人の集会」「特定のゲームをするイベント」「バーや食堂のロールプレイイベント」。挙げればキリがないですが、誰でもイベントを開いて同じ好きを共有したり、仲間を増やす事が出来るでしょう。

目に見える利益のためではなく、ただ集まりたいから集まり、遊びたいから遊び、話したいから話す。これも大人になると中々現実ではする機会のないことです。友人ならともかく、あまり面識のない人と共通の話題で盛り上がって「また遊ぼうぜ!」と言える事などそうそうないでしょうから。

社会と似て非なる構造で出来ている2周目の人生

今まで「子供時代を思い出す」事を挙げてきましたが、そもそも何故VRCではそれが可能なのか。
私が思うに、この世界には「社会的責任が介在しない」事が要因としてあると考えます。

社会を生きる上で常に何かと戦い、何かしらの責任や義務がのしかかる中で、余暇の範囲で楽しむのが大人です。子供ほど自由ではいられない。
VRCはゲームです、大人が余暇の範囲で楽しむことを許された、社会的責任が介在しないゲームのひとつ。しかしそのゲームの中には、子供の頃と同じように無邪気に遊び、自由でいられる世界が広がっています。一人でいたい時に一人でいることも、同好の士を探して語り合うことも、黙々と何かを作ったり表現しようと試みることも、何も考えず行き当たりばったりで友達と遊び倒す事も。VRCは全てを受け入れ、可能にします。それも最も現実に近いコミュニケーションを伴って。

ですが裏を返せばVRCでどのように過ごすかは、自分の選択や決断ひとつでどんな形にも変わっていくのです。普通のゲームなら目標があり、クリアがあり、エンディングが用意されています。しかしVRCは与えられた目標と達成を享受するゲームと違い目標やエンディングはなく、自分の選択と決断でライフスタイルや楽しみ方が変わっていく。だからこそ、この世界は生きてる内に始められる「2周目の人生」なのです。

2周目の人生をどう生きるか

2周目の人生を生きるとして、じゃあどうするかというと大抵の人はその過ごし方に悩む事でしょう。「何してもいい」と言われた時ほど、何をするかは悩むもの。しかし、大人としての縛りが許さなかったことをできるという話であれば、
概ね「現実でやるにはコストがかかりすぎる事」や「現実でやるには難しい過程を踏む必要がある事」を小規模でやるみたいな話になるのは自然な流れではないでしょうか。

「現実でやるにはコストがかかりすぎる事」
例:
場所を確保し催し物を開催
バーや居酒屋等の店舗経営

「現実でやるには難しい過程を踏む必要がある事」
例:
アイドルや芸人など、競争率の高い職業につく



大体この辺になりそうです。これはワールド制作やイベントの開催、グループの結成等で叶える事が出来ますね。つまり、VRCは「好きなことをやってる人の周りに同好の士が集まる事で回っていて」、「好きなことを同好の士と続ける事をモチベーションにVRCを過ごしている」わけです。

もちろん一人で過ごされる方もいますが、それは単純にVRCのワールドを回ったり、あるいは一人で何か作業をしてVRCに使える何かを出している方など様々です。その場合は「好きな事(ワールド巡りや創作活動)を続けること自体が目的でありモチベーションの源泉」と言えるのではないでしょうか。

総じて好きな事をしようと試みる気持ちによってこの世界は回っているといっていいでしょう。
この世界における経済とは「好きな気持ち」であり、この世界を生きるモチベーションになるのは「好きな事を続ける気持ち、望んだ生き方を許されるこの場所に居ようとする気持ち」であり、
この世界を生きる理由は「自らにとって考えうる限り最高のライフスタイルを確立する事」なのでしょう。

現実であれ仮想世界であれ、快適な生き方が出来るならそれに越したことはありません。
現実より仮想世界の方が快適な生き方を追求出来そうであれば、(現実で健康的に生活出来る範囲で)そちらを追求するのもまたひとつの選択肢と言えるでしょう。







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