チャンピオンになれなかった私へ

甲虫王者ムシキング。2003年から2006年頃にかけて全国のゲーセンで熱狂の渦を巻き起こした伝説のアーケードゲーム。

正確には2010年までは置いてあったのだが、末期の方はほとんど閑古鳥といった有様であったので便宜上、2006年までとする。

私もムシキングに魅せられた一人だった。
当時小学生だった私は週に1回だけ、近くのコンビニに連れて行ってもらって親から貰った100円玉を握りしめて遊んでいた。

当時は大会も盛んに開かれており、中でも優勝すると貰えるカードを3枚SEGAに送ることで貰える「グレイテストチャンピオン」のカードは子供達の憧れであった。グレイテストチャンピオンになりたいと願い大会に何度か出たこともあったが、結局ムシキングのサービス終了までに一度も勝てたことはなかった。最寄りの店からムシキングが消えてから15年、私にはチャンピオンになれなかった後悔と、今なお消せないチャンピオンへの執着が残っている。

ムシキングが終わってからというもの、心に大きな穴が空いた。その穴を埋めるためにムシキングに代わる熱狂出来る何かを常に探していた。
高学年になってからはヨーヨーやベイブレード、
中学生になってからは漫画やアニメ、高校生になった時にはソシャゲ、社会人になってからは金のかかるカードゲームもやった。
特にヨーヨーとカードゲームは大会でもそれなりの結果を出せたりもした。
しかしどれも私の心に空いた大きな穴を埋めるに足るものではなかったのだろう。何をやっても続く事はない。

当時のムシキングカードを全て集めたりもした。グレイテストチャンピオンカードだって今は手元にある。…尤も、そこに刻まれている名前は赤の他人の物だが。
当時のカードを集めたファイルを見ると、過去の自分を思い出す。あの時にこのファイルがあれば、勝てただろうか。少なくとも大喜びはしただろう。だけど


「遅いよ、今更カードが集まったって何になるんだよ」
「今更強くなったって、俺がなりたかったものにはもうなれないんだ」

心のどこかから、そんな嘆きが聞こえてくる。
あの時チャンピオンになれなかった自分を責めるように。子供の頃にやり遂げられなかった事に、15年経った今でも執着している。

大人になるというのは、いつなのだろうか。
20歳になれば大人なのか?少なくとも私は違う。
思うに、大人になるというのは「遊びに飽きること」なのではないか。子供は遊びに夢中になり、その中で勝利や敗北、成功や失敗、あるいはまた別の夢や未来を遊びの中に見て、いつかは飽きていく。大人になってふと振り返った時に、遊んできた思い出は人生を生きる力をくれるのだ。

大人であるならば、たかだか一つのゲームでチャンピオンになれなかった事などさっさと割り切って忘れるべきなのだろう。私が今ここに書いていることは、大人になれない子供の言い訳でしかないのかもしれない。では、子供の頃から今に至るまでの15年間、心に空いた穴は何をすれば埋まるのか、呪いのように残り続ける執着はどうすれば消えてくれるのか。

熱狂出来る新しいものか。
そんなものでは俺の心は埋まりはしない。

実績や勝利か。
チャンピオンになれなかった俺にはもうどんな勝利も意味が無い。

過去に戻りチャンピオンになれたとしたら、執着は消えるのか。
…わからない。

この執着や心に空いた穴が、チャンピオンになれなかった事が原因かどうかさえも、次第にわからなくなりつつある。 ただひとつ分かるのは、私が生きているのは今であり、過去ではない。
どれだけ時間をかけてでもこの執着や心に空いた穴に向き合い、いつか解決しなければならない。 
過去を切り開くために今を生きる。現時点での結論はこんなところだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?