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Poem-) 紫煙(しえん)の街


遥か昔に。その土地に、年月を数えるための方法を、もう見つけることができなくなるほど昔。
紫水晶売りの商人が、ここを宿場町にしていたという。大きな風呂敷に、ゴツゴツとした原石を包み背に背負い、両手にはそれぞれ4つほどの荷物を抱えて、街道を行き来していた。
鋭角に割れた原石は時々風呂敷の布を破り出て、その隙間からは、小さな水晶の塊や紫の粉が滑り落ちていた。おかげで、町の数本ある通りは、いつしかすべて、紫色の水晶が敷かれた道となった。

ある年、これはもう伝説であるのだが、山奥にある紫水晶の山が閉じられた。山が2つ分程もあったと聞くが、山跡が窪地となるほど、紫水晶は採掘し尽くされた。

商人の仕事にも終わりがきた。
その日、最後の夜、商人たちは初めて皆で一緒に晩御飯を食べたのだった。
そして何やら、朝方までガサガサゴツゴツという音が、町中に鳴り止まなかったという。森の動物も鳥も、一声も出さず、明け方まで静かに見守っていた。

翌朝、商人たちは、誰も何の荷物も持たずに、身一つでこの町を出ていった。
そして商人たちは誰1人として、その後、1度も姿を現さなかったという。

それからであった、…雨降るたびに、この町が、不思議な紫煙をあげるようになったのは。
紫水晶の敷かれた道から生える草は、紫色である。町外れにある湧き水も、紫色である。紫色の花、紫色の野菜、紫色の米。紫色の蝶、紫色の鳥…。紫色の猫、紫色の犬…。

近年になって、いつしか口づてに紫煙の街として知られ、人々が静かに、訪ねて来るようになった。地図にない街であったのだが。

そして、この街に入った途端、旅行者は皆、同じ言葉を、挨拶のように繰り返すようになった。もちろん、どこにもそんなパンフレットや案内書はない…。


…やあ、こんにちは。僕はどうやって生きていったらいいのだろう。
…やあ、そうね、もう少し、この街を、歩いてきてごらんなさい。…

…やあ、こんばんは。私はどうやって生きていったらいいのかしら。
…やあ、ここで、少し休んでいくといいわ。…

すれ違うと必ずこんなやり取りが始まるのだったが、街人は皆優しく、辺りには、色濃い紫煙が流れて行くのだった。

旅行者とは限らない、隣家のお爺さんも、道行く会社員も、時々、この街では挨拶がわりに、こんなやり取りが始まるのだった。
どちらからともなく、聞かれた方が、そっと答えればよかった。…すると街のあちらこちらから、静まり返っていた紫煙が立ち上り、私たちを心地よく包み出すのだった。…

Arim

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