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盛岡市

(2017年5月18日の投稿を改訂)

ちょうどよい大きさの都市だった.これ以上大きくなると人が集まったという感覚が薄れてしまうし,これ以上小さいと都市としての安心感がなくなってしまう.北上川と岩手山の景観に恵まれた気持ちのよい町だった.

東京からはやぶさで2時間半もかからずに盛岡市に到着した.駅付近に2軒あるというレンタサイクルのうち,安い方の「佐々木自転車商会」で自転車を借りた.観光案内所でもらった地図を見つつ,河南(*)と呼ばれる旧市街地地区へと向かった.

河南へと北上川を下った.五月晴れで気持ちが良い.開運橋からは雪を纏った岩手山が見え,これは確かにシンボルに違いないと納得した.

盛岡市は市域に寺社が多く見られた.盛岡八幡宮は思いがけずきれいに整備されており,力強く凛々しさを感じさせる本殿だった.この様子だと,相当な信仰を集めているのだろう.御神徳は成功勝利だという.境内には多くの建物があるが,恵比寿様が祀られている社殿が一際目を引いた.日本生まれの神様ゆえだろうか,はっきりしたむくり屋根だった.

道に迷いつつ,鉈屋町の町家が残る通りへ向かった.大慈清水では近隣の男性が水汲み場の掃除をしていた.ただ眺めているのも気まずく,適当なことを尋ねた.金曜日は交代で掃除なのだといった.一言断って水を飲ませてもらった.するとポツリポツリと,水の説明をしてくれた.

旧市街にはこのような水汲場がいくつかある.河岸段丘の段丘面にそっている.

町家の休憩所で内部を見学した.三和土の石畳には水が打たれていた.受付の女性に,建築の勉強をしているのか,と聞かれた.女性は街の成り立ちについて詳しく語ってくれた.盛岡は河岸段丘のまちだ.青龍水や大慈清水は段丘崖から湧いている.すぐ近くの船着場から江戸へ荷物を運んでいた.奥州街道から秋田へと向かう分岐点だった.修学旅行の小学生が入ってきたところでお礼を述べ,次へと向かった.

旧市街を離れると駅の間に盛岡城跡がある.盛岡城跡の前には県庁・裁判所・議事堂・郵便局本局やNTT…が並び,とりあえず公的なものはすべてここにある.わかりやすい.そして,それらの正面には神社があった.盛岡城跡の桜山神社が鳥居の並ぶ短い表参道を通じて無機質な公的施設群と向き合い,宗教都市かと思わせるほどだった.

公的施設群から(おそらく)段丘をひとつ下りると,盛岡の繁華街が段丘崖と平行に伸びている.メインストリートは路上駐車を避けて自転車レーンが設置され,自転車の走り方についてアナウンスが流れていた.自転車を意識しているのだろう.町中を自転車で移動するのに都合が良かった.

路上駐車が自転車のじゃまにならない.自転車で走りやすい街はいい街だと思う.


昼を過ぎ,盛岡駅へと戻ってきた.駅近くの盛楼閣で盛岡冷麺を食べる.砂糖が高かった時代,西瓜や梨は甘味料の代わりだったという話を聞き,麺と一緒に西瓜を食べた.

*聞いた話では,中津川の南を河南,北を河北と呼ぶそうだ.かつては河南の鉈屋町にあった船着場を中心に栄えていたが,現在の中心は盛岡駅から近い河北へと移っている.

他にも幾つかを見て回った

+三石神社

岩手県のアイデンティティそのものである岩があった.街の中心地からは少しだけはずれ,田畑が見えてくる奥まった場所,住宅の脇にある.本当にこれが岩手県の岩でなのだろうかと思うほど閑散としていた.しかし,確かに岩自体は立派で,県の名前になった岩と言われてしまうと印象に残る岩だった.

岩手県の名前の由来になった割には地味なスポット.


+盛岡正食普及会

土蔵造りのパン屋.様々なガイドブックに取り上げられていた.店主に名前について聞くと,「文字通り正しく食べるということで,添加物を使わず,自然食品にこだわっています」ということだった.ロシア・ビスケットを購入した.小麦粉の風味を感じる硬いビスケット,1枚でお腹いっぱい.

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