あの子も同じように苦しんできたんだ。

とある地方都市の障害者支援施設に勤務して今年で9年目になる。

私の勤務している施設は主に知的障害のある人たちの生活支援を行なっているが、その中でも今まで接してきた入所者の中で強烈な印象を残した人との5年間の思い出を書いておきたいと思う。

その人の名前を仮にAさんとしておく。Aさんは入所当時30歳前後だったが10代後半でも通用するような小柄で華奢な容姿の女性だった。知的障害のある人はその障害の程度にもよるが一般的には幼い感じというイメージがあると思う。Aさんもその例に違わず、アラサー女子らしくファッションや芸能人など流行に敏感だったがお金の管理や身の回りの支度は職員の介助を必要とした。

Aさんと最初に会った時の私の印象は「可愛らしい人だな」だった。確かに幼い感じはあったが手先が器用でおしゃべり上手、小学校低学年の子が描くような女の子やペットの絵を好んで描いていた。私も手を動かして何か物を作るのが好きだったので話が合いそうだと思っていた。

そこまでは平穏な段階だった。介助が必要だからこそ施設に入所したわけだし、施設職員も知的障害のある人の特性はよく理解していたはずだった。

問題はAさんが精神障害も併せ持っていたことだった。Aさんがここまで支援が難しい人だとは私も含め職員の誰も想像していなかった。

入所して数ヶ月経った頃から、施設での生活の緊張が解けてきたのかAさんは本来の姿を現し始めた。例えば以下のような。

Aさんは精神が安定せず服薬の管理が欠かせなかったが気分次第で「飲む」「飲まない」を繰り返した。職員の発した小さな一言(褒め言葉やたしなめ)に対して素直に応じてくれることがあるかと思えば逆ギレした。自分の思い通りに職員が行動しないと「虐待だ」「こんなところ出て行ってやる」と警察に通報したり施設を飛び出した。またAさんは体の病気も多く持っていたが、それを逆手にとって自傷行為や身体症状を訴え通院を要求することも頻繁にあった。私も時間外勤務でAさんの通院付き添いの対応をすることが多数あった。Aさんの訴えが演技だと判断するのはそこまで難しくはなかったが、通院の必要がないことをどのようにAさんに納得してもらうか説明するのが難儀だった。

Aさんの精神疾患の診断名は「境界性パーソナリティ障害」ということだったが、のちに精神科の担当医が代わった際には「ただのわがままな知的障害のある女性」となっていた。しかし診断名は本当はどうでも良かった。適切な支援方法が知りたかった。私たち支援者がAさんの言動に振り回されて疲弊していたのは紛れもない事実だった。正直に言う。Aさんのことを「○んで欲しい」とは福祉に従事する者として口が裂けても言えなかったが、「少なくとも私の生活圏からはいなくなってほしい」と職場の飲み会で愚痴を吐いたことがある。それは私だけではなく同僚職員もほとんど同じ意見だった。

このようなAさんとのギリギリ綱渡りのような関係が5年続いた。Aさんもまた精神科や身体疾患による入退院を繰り返した。当然のことながら施設で生活している利用者はAさんの他にも多数いるわけでその人たちへの支援の質も落とすことはできない。ヒラ職員の私でさえもAさんの件で私生活の時間まで追い詰められそうになっていたわけだから、上位職員や管理職の苦労はいかばかりだっただろうと心中を察する。

やがて、Aさんと私たち施設職員との関係は呆気ない形で終わりを迎える。長く疎遠だったお母さんがAさんを見つけ、Aさんとお母さんが結託(?)し、虐待を受けたと警察に通報する騒動を起こして強引に施設を退所したのだった(警察の調査により施設内での虐待はなかったことは証明された)。

その後、Aさんの生活歴や施設長からの話でわかったことがある。Aさんは幼い頃にご両親が離婚し複雑な家庭環境で育ってきたこと。お母さんから虐待を受けていたこと。特別支援学校を卒業してからは就労も結婚も経験していること。Aさんのお母さんも精神疾患を患っていること、お母さんがAさんを引き取ると申し出た背景にはAさんの年金が目当てではないかと思われる、等…。

Aさんはお母さんに虐待を受けた経験がありながら最終的にはまた一緒に暮らす選択をした。私は心理学は詳しくないがいわゆる共依存という状態ではないかと心配でならない。しかし施設側としては本人の選択を尊重することしかできなかった。その後今に至るまでAさんの音信は残念ながら不明なままだ。

今になって振り返れば、Aさんが自分を守るために必死で生きてきた結果があの状態だったのかもしれないと思う。散々トラブルを〈やらかした〉あとには「もうしません」と泣いて反省していた。一方で風邪をひいた私を励ましてくれたり自分よりも体の弱い利用者の手をつないで一緒にゆっくり歩いてくれるなど優しく思いやりのある面もあった。それらが本心なのか演技なのかはもうわからない。そうやって周囲を振り回すことで自分の存在意義を確認していたのかもしれない。しかしそれ以上に私が今考えていることは、私たち支援者が被ってきたAさんの〈やらかし〉は、またAさんがお母さんや今まで暮らしてきた環境から経験してきたものなのかもしれないということだ。「虐待の連鎖」という言葉があるが、それの変形バージョンのようなものだと考えるといいのかもしれない。そしてAさんのお母さんもまた、Aさんと同じような苦しい経験をしてきたのかもしれない。実際に二人と接している時間は本当に神経のすり減るような思いをしたのだけれど…それを考えるとAさんもAさんのお母さんも決して責めることはできない。

後味悪い幕切れなのは誰の目にも明らかだと思うが、私はAさんとの5年間で忍耐力と想像力、相手を思いやることの重要性を学んだ。今はAさん母子が良い支援者と出会い、それぞれが穏やかに暮らせる道を見つけられていることを心から願っている。

#一人じゃ気づけなかったこと

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