普久原

那覇市生まれ。一級建築士。共著作に『沖縄 オトナの社会見学 R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)。建築監修作に『沖縄島建築 建物と暮らしの記憶と記録』(トゥーヴァージンズ)があります。

普久原

那覇市生まれ。一級建築士。共著作に『沖縄 オトナの社会見学 R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)。建築監修作に『沖縄島建築 建物と暮らしの記憶と記録』(トゥーヴァージンズ)があります。

最近の記事

伊志嶺敏子さん vol.11

8.環境共生住宅  2009年より環境省の「21世紀環境共生型住宅のモデル整備事業促進事業」によって、極寒地や蒸暑地の全国20の自治体において省エネのモデルとなるエコハウスを設計し、建築して効果を確認する事業が実施された。蒸暑地として選出された宮古島市においては、伊志嶺さんが設計を勤めることとなった。 「事業の要望としては省エネ推進のモデルとなる1棟を建てるのに1億円使いきるような内容でした。ところが、沖縄で皆がそこまでお金をかけて建てることは現実的ではありません。エコハ

    • 伊志嶺敏子さん vol.10

      幕間:宮古のお墓 別分野の話を伺うのは楽しく、ネフスキーの話は新鮮だった。建築を仕事にしていると物の形から新たな形を発想したり、形の意味を読み解くことが多いのに対して、ネフスキーや柳田國男民族学では形のない言葉から考える。柳田國男は東北での調査に今和次郎を伴ったという。スケッチのできる今に民家などの形を収集させ、自身は古老の言葉や民話を採集するという風に役割を分担したようだ。後に渋沢敬三や宮本常一らが民具収集するようになり、民族学も物の側面から変遷を考えるようになったというか

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      • 伊志嶺敏子さん vol.09

        7.閉じつつ開く 伊志嶺さんは、海外旅行経験豊富でいくつかの媒体ではちょっとした紀行文も挿まれている。興味深いのは台湾の南東にある蘭嶼島の話だ。  夏は風通しの良い高床の小屋に住まい、冬は暖かい穴倉に住まう。寒暖の激しい古代の東北の人たちも同様の住まい方をしていたのではないかということを建築史家の藤森照信も記している。  さらには、穴は屋根に草が生えて地面が一部盛り上がっているような竪穴式住居だったのではないか。樔は古代中国では北方の蛮族が夏に住まう家を指す漢字だったから

        • 伊志嶺敏子さん vol.08

          宮古の風土を翻訳する 「平たい」というのが、飛行機から宮古島を眺めたときの感想だった。起伏に富んでいる沖縄本島に比べるとなだらかだ。宮古島に降り立ってみて、車でめぐってみても山々の輪郭がなく遠くまで見通せる。その分だけ空の面積が大きくなるので、青空が身近に感じられた。ただし、島が全体的に平らということは、強風を遮ってくれるものが少ないということだ。いつも台風の被害が大きいというのも頷けた。  それに昔から水の確保にも悩まされた土地だった。農業用水は地下ダムが出来てから多少マ

          伊志嶺敏子さん vol.07

          幕間:ネフスキーにムナイする 取材滞在中。今日は夕刻に集まりがあるのだけど参加するかと伊志嶺さん問われて、ノコノコとついていった。ちょうど伊志嶺さんも出版に関わった本が受賞したとのことで、他の関係者に受賞報告をする集まりとのことだった。『ニコライ・A・ネフスキー生誕130年・来島100年記念文集・子ぬ方星(ニヌパブス)』という2022年に刊行された本で第44回沖縄タイムス出版文化賞にて特別賞を受けたとのこと。宮古の人々が協力し合って出版した本で、編集委員会代表を宮川耕次さんが

          伊志嶺敏子さん vol.07

          伊志嶺敏子さん vol.06

          5.宮古島を離れて本土へ 伊志嶺さんは国費・自費留学の世代だ。沖縄は米軍統治下にあったため、パスポートを持って本土の大学に「留学」する時代だった。沖縄の人が個別で大学に行って試験を受けるのは大変だったことから設けられた制度で、沖縄で試験を受けて、進路希望等を鑑みて受け入れ先の大学へと振り分ける仕組みだったようだ。 「私の年から住居学科という選択ができたわけ。『婦人公論』の特集で「世間を飾る女性たち」というタイトルだったかな? 専門性を持った女性たちが掲載されていて、その中で

          伊志嶺敏子さん vol.06

          伊志嶺敏子さん vol.05

          4.幼少期と父母 伊志嶺さんは、本当は昭和22年(1947年)12月29日生まれだという。当時は数え年で年齢を数えるので、出生後たった二日で2歳ということになってしまう。たとえ同い年の子でも出生日の数ヵ月の差は幼少期には身体能力などにおいて大きな違いとなって表れることがある。それを憂いたのだろう。歳の暮れ生まれはかわいそうだと母方の祖父の発言により、親戚の助力もあって戸籍上は翌年の1月20日生まれになっているという。  どのような幼少期だったのだろうかと、伊志嶺さんの両親に

          伊志嶺敏子さん vol.05

          伊志嶺敏子さん vol.04

          幕間:宮古の夜 宮古の夜は酒が進む。私はもともと大してお酒を飲めない体質の人間だったのだが、郷に入っては郷に従えという感じで飲んでたら人並みには飲めるようになってきた。今でもアルコールが入るとすぐあから顔になるので、弱いことには変わらないのだろう。だから万人にはお勧めしない。おそらく月1回程度、那覇にやってくるノンフィクションライターの藤井誠二さんの取材等に付き合って飲み食いしていたからだろう。自分は建築士だから飲み食いの話は無理だと言ってるのに『肉の王国――沖縄で愉しむ肉グ

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          伊志嶺敏子さん vol.04

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          伊志嶺敏子さん vol.03

          3.平良団地 宮古島で伊志嶺敏子さんの設計した建築で著名なのが「県営平良(ひらら)団地」だ。本土でさまざまな集合住宅の平面プランを研究していたときの経験と帰郷して沖縄の風土を学びなおした経験が活きている。  住宅供給の時代は「量から質へ」と転換が図られた後で、沖縄でも、鈴木雅夫さんや宇栄原謙さんらによって「南島型」と呼ばれるプランが提案され、県営団地等にて実施されていた。玄関を持たない開放的な沖縄の伝統居住の住まい方を取り入れたプランだ。階段室側から入る南面テラスが玄関の役

          伊志嶺敏子さん vol.03

          伊志嶺敏子さん vol.02

          2.情念的か、構造的か 少し抽象的な話から先に片付けておきたい。  取材前、那覇市で建築の合同新年会のときに、伊志嶺さんが最初にしてくれた話が次のような内容だった。 「沖縄の上の世代の建築家と私が異なるのは、沖縄の風土を構造的に読み取って建築に取り入れようとしている部分だと思います。金城信吉さんたち世代は、どちらかというと情念的に沖縄建築を捉えているように感じます」  「情念的」と「構造的」。抽象的な対比だと思う。その表現の違いは、伊志嶺さんがこれまでどのように沖縄建築

          伊志嶺敏子さん vol.02

          伊志嶺敏子さん vol.01

          1.いきさつ きっかけは『沖縄島建築』(トゥーヴァージンズ刊)という本の出版に関わったことだった。『沖縄島建築』では著名建築の紹介が主軸ではなく、沖縄建築とそこで生活する人に焦点を当てた内容だ。テーマや紙面の都合もあって、建築設計に関わる人々を書籍内で紹介することができなかった。個人的にその不足を補おうと思い立ち、2020年11月から2023年2月にわたってタイムス住宅新聞紙面にて『フクハラ君、沖縄建築を学びなおしなさい』という連載を計18回続けた。沖縄建築に貢献している先輩

          伊志嶺敏子さん vol.01

          自己紹介|はじめてのnote

          はじめまして。  インタビューしてまとめた文章の発表の場として、noteを試してみようと思い立ちアカウント登録してみました。  沖縄県那覇市在住の一級建築士です。 ふだんは住宅などの設計・監理をしているのですが、ひょんなことから共著者として書籍の出版に関わることがあり、以降、執筆の機会をいただくことが増えました。  街歩きネタ、グルメネタ、沖縄建築紹介ネタで書籍に関わり、なぜかいつの間にか地図ネタでときおり市民講座に立つ機会までいただいてます。  執筆の機会をいただい

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