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M&Oplaysプロデュース『帰れない男 ~慰留と斡旋の攻防~』感想

2024年4月13日(土)〜5月6日(月)「本多劇場」で行われた劇『帰れない男 ~慰留と斡旋の攻防~』の感想です。私が観たのは4/15になります。


不思議の国のアリス的論理学

雨が強く降り始めている。野坂(林遣都)は帰ろうか迷っていた。石森(新名基浩)が窓障子を開け、外をのぞく。石森は傘を見て旦那様(山崎一)が帰ってきたと見まごう。しかし実際は傘をさした夫人(藤間爽子)だった。
夫と間違えられた夫人は石森をとがめる。石森は傘が旦那様のものだったので旦那様かと思った、と言い訳する。しかし夫人はなぜか、「傘は旦那様ではない」という解釈でとがめるのだ。
・その傘は旦那様であることを示す
・ゆえにその傘は旦那様である
という古典論理学的な解釈を夫人は行っている。
ほかにも
・人は対象の相手に対し周囲にどんな人がいるかで相手の人となりを判断する
・ゆえに石森をみて俺(旦那様)の人となりが判断されてしまう
というような言葉が判定者である野坂はすでに旦那様を認知しているのにもかかわらず飛び出す。
これも古典的論理学のような論調だ。

古典的論理学で構成された(その滑稽さを扱った)最も有名な作品に「不思議の国のアリス」があるが、私は本劇の序盤から「これは不思議の国のアリスのオマージュだ」と了解した。
実際のところ、論理的には何も間違ってはいないけどひどく滑稽に聞こえるやり取りがひたすら展開されていくのが本作品である。観客はそれを笑って楽しむことができる。

寓話の世界

異様に大きいお屋敷には毎日のように客がやってくる。それは主人がいてもいなくてもそうらしいが、あるとき造船会社の重役たちが宴会をやっているのが中庭越しに見える場面がある。その「宴会をしている」という表現がなぜか影絵でひどく人形劇風である。実際におそらく段ボールか何かをつかって、ギミックをつくっている。
まるでNHKの教養番組のようであるが、おそらくそれも作為的だ。なぜならわざわざ金と時間をかけてそんなことをする必要は全くないからだ。「向こうの部屋で知らない誰かが宴会を楽しんでいる」という表現はもっと簡単にいかようにもできる。
その前の場面で「毎日よくわからない客がやってくる」のを小説家である野坂が「まるで自分の書く小説のようだ」と表現したように、まさにこのお屋敷に展開されているのは小説の中=フィクションに限りなく近いところにあるということを補強する。それは容易に先述した「不思議の国のアリス」的世界とリンクするだろう。
そもそも現実というかリアルな世界側の話であるならば、「帰れない」という状況はあり得ない話なのだ。しかし、お屋敷の中で展開される不思議の国のアリス的世界観の中では論理的に破綻せず成立する。
本人はいたって真面目に語っていても一つ間違えば滑稽であるというのは、近頃のSNSで見られる誹謗中傷や謎の正義を振りかざして飛躍した論理で相手を負かそうとする輩を風刺した寓話とすら解釈可能ではある。
その視点で行くと、実は登場人物の中で最も寓話的でない「解説者」の立場にいるのは、劇中で最も滑稽なことを言っているように見える「夫人」である。
特に劇の後半で彼女はお屋敷の中で起こる世界を非常に端的にこう表現した。
「間違った話を間違ったように聞けば正しく聞こえる」
ちなみに彼女のこの解説者的立場を演じた藤間爽子氏は「ピュア」と称している。物事をまっすぐにみてそれを語る態度は、ある意味そのように見えるし、劇中の中で誰よりもリアル=観客側に近い立場でいるということに他ならないのではないか。



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