【プロイセンの歴史①~1871年世界支配まで~】
【かつての大手メディア(MSM)の嘘が暴かれた今、DS詐欺師たちは、かつてのメディアを捨て、図々しくも”愛国者”の看板を掲げて新しい巨大メディアグループを創設し、今後も引き続きナラティブ(嘘物語)の主導権を握り、羊たちを誘導しようと企んでいます。
馬鹿なりに戦略を練った結果、「一般大衆から絶大な人気を得るようになった有名Qフォロワーたちより(数字の上で)何倍も人気がある(ようにみえる)インフルエンサーたちをでっちあげ、羊たちを新しい嘘の世界へと連れていってしまおう」という作戦に打って出たのだと思われます。
この作戦は全世界的に、もちろん日本でもおこなわれており、youtubeやツイッターやFacebookでQっぽい話を、ビッグアカウントで拡散することを許されている方々は、すべて、偽愛国者です。(誰にも気づかれないようなスモールアカウントの方々はそうではありません)】(Eriさん引用終)
改めてQの投稿を読んでみるとQはこのような状況が訪れることを知っていたかのようですね🤔🍿
Q877
ソーシャルメディアのコントロールが すべてだ
MSM(大手マスメディア)の時代は 終わった
Q
Q4553 [羊(君たち)を飼う方法101]
ヤツらの政治的視点に従わない場合
君は意図的に少数派と決めつけられ 劣等感を感じさせられる
[多数派が x だと考えている場合 xは真実に違いない
_投影された偽りの現実_ニュース_ソーシャルメディア・プラットフォームを使用して多数派として投影される少数派_指定された視点にスポットを当てる['ナラティブ(嘘物語)']]
自分の頭で考える一般人[独立した自由な思考]を ヤツらは最も恐れる[コントロール不能]
Q
DSの思惑通りにグレートリセットにさせずに、GreatAwakening (素晴らしい大覚醒)にするためにも、人類が偽愛国者や詐欺師たちに騙されなくなること、隠れている敵をどこまで認識できるかどうかが非常に重要だと感じていますし、そのためのQの計画なのだと思います。#情報戦争
また、Qの投稿を読み返すと、プロパガンダとナチスを関連付ける投稿が多いことに気付きました。このタイミングで、ナチスに繋がるプロイセンを取り上げた記事が出てくるのも決して偶然ではないと思います🤔🍿シランケド........🍿
Q1269 もう目覚めた?
MSM(大手マスメディア)=プロパガンダ手段だと(自分で)理解した?Facebook/Twitter/Googleが保守派の主張を検関してるの 理解した?
腐敗理解した? 悪魔理解した?
君は 奴隷? 君は コントロールされている? 君は羊?
もう目覚めた? 自分の頭で考えてる?
真実を知って 事実 ・歴史
#TheGreatAwakening 素晴らしい 大覚醒
ヤツらは コントロールを失っている
ナラティブ(嘘物語)に挑む者の意見を尊重する? それとも、攻撃する?
すぐ 目の前にいるよ
真のファシストは 誰?
真の差別主義者は 誰?
アンティファの旗はなぜ、ナチスの旗にソックリなの?
偶然?
人類のために - 目覚めて- 学んで
#WWG1WGA (我ら一丸となり、共に進まん)
Q
Q4635 ナチスドイツによる プロパガンダの利用
(大手メディア+民主党) /ソーシャルメディアによる プロパガンダの利用(ナラティブの制御 ナラティブへの反対意見を検閲し黙殺))
ナチス党は 本当に滅びた(根絶された)の?
その精神は 継続していた?
前置きが長くなりましたが、以下本編です🍿
【プロイセンの歴史】
これは、プロイセン(中世ヨーロッパの国)についての物語です。
プロイセンは今はなき帝国であり、今はなき王家の王朝であり、今はなき国家です。
今ではほとんどすべての国民国家と政府を支配する企業のマトリックスの中に隠れ、深く浸透しています。
我々の目には見えない恐ろしい敵です。
政府の機能を「我々国民」から金融家に移した米国法、つまり、1871年にアメリカ合衆国が株式会社になったことは多くの人が知っているはずです。
しかし、1871年法のわずか1カ月前に、プロイセン王が統一ドイツのカイザー(皇帝)になったこと、1871年法の4カ月後に、米英間の長く激しい戦いの末に条約が締結され、皇帝がその条約の裁定者だったことを知っている人は少ないかもしれません。
皇帝はこの条約の直接の受益者になろうとしませんでした。
皇帝はすでにドイツの皇帝であると同時に、イギリス王室はハノーファー家がすでにしっかりと支配していたからです。
同様に、当時から力を持っていたオラニエ・ナッサウ家(現在のオランダ王室)も、皇帝に敬意を表しており、彼のもう一つの称号はオレンジ公でした。
これら2つの大貿易帝国(イギリスとオランダ)は、プロイセンのカイザーの意向を受けたものでした。
強大なアメリカは株式会社にして条約で管理していました。
バルカン半島の国々も、カイザーの最終的な裁定に従っていました。
1871年 世界がプロイセンの支配下に
1871年には、世界のほぼ全域が何らかの形でプロイセンの支配下に置かれていたのです。
(日本も明治維新の時に実はイギリスの支配下に置かれたかもしれないことは有名な話だと思いますが、そのイギリスを支配していたのはプロイセンなので、日本も実質プロイセン(ドイツ)の支配下だったということになりますね。だから第二次世界大戦の時に英国陸軍元帥であるはずの天皇が日独伊三国軍事同盟を結んでイギリスに宣戦布告をしたにもかかわらず、イギリスは天皇の英国陸軍元帥の地位をそのままにしたのでしょうか?🤔)
参考:QAJF隊員eugeneさんのgab投稿: https://gab.com/eugeneQAJF/posts/106727775208036261
プロイセンの台頭 ~1871年
1871年以前のプロイセンの台頭は、軍事的にも外交的にも壮大な成功物語でした。地理的な領土のことではなく、征服した土地のことです。
それはまさにグレートリセットの試運転だったのです。
バルト海の異教徒の国、プロイセンを見てみましょう。
プロイセン十字軍(1217-1274年)
(1217〜1274年)にプロイセンの異教徒である原住民と軍事騎士団であるチュートン騎士団(=ドイツ騎士団)との間で60年に及ぶ血みどろの戦い(プロイセン十字軍)が繰り広げられました。
教皇の祝福を受けたチュートン騎士団は、北方十字軍に乗り出し、異教徒の多いプロイセンの土地をリセットしようとしました。
異教徒に改宗か処刑か選択する機会を与えることで、プロイセンの人口を大幅に減少させ、ゲルマン化したキリスト教徒を再配置したのです。
【チュートン騎士団(=ドイツ騎士団)の紋章】
14世紀 ホーエンツォレルン家により軍事国家に
14世紀になると、プロイセンの土地はホーエンツォレルン家の手に渡ります。(紋章⇓)
西暦1061年、ツォレルン伯爵とその一族は、ゆっくりとした野心的な拡大の道を歩み始めました。
ニュルンベルクに拠点を置き、ブランデンブルクに拡大した後、プロイセンの土地を手に入れたホーエンツォレルン家は自分たちの帝国の名前にプロイセンを採用することを決めました。
彼らの帝国は決して土地だけのものではありませんでした。コンプライアンス、隷属、軍国主義の文化も確立するためのものでした。
ホーエンツォレルン家は、プロイセンの土地を手に入れることで、チュートン騎士団の残忍な支配方法も手に入れ、それによって強大な軍事国家プロイセンが誕生したのです。
プロイセンは、周囲を取り囲む大国のいずれにも屈することなく、「征服するか、されるか」という明確な目的を持って、永続的な戦争の文化に乗り出しました。
プロイセンは、常にプロフェッショナルな常備軍を維持し、国民に強制的な入隊を求めました。
プロイセン王国は、侵略する前に潜入するという手法を用いて、急速にヨーロッパで最も恐ろしい力を持つ国になりました。
プロイセンの軍国主義は伝説的でした。
ホーエンツォレルン家の支配者は、スパイ活動や結婚の取り決め(潜入の方法)を取り入れ、国王は生まれたときから戦争のために育てられました。
ホーエンツォレルン家のプロイセンは、兵法に特化した国家であるだけでなく、兵法の一部であることが文化的に求められていました。
ホーエンツォレルン家により軍事国家になった後、僻地にある小さな国が大帝国になっていったのです。
1871年-普仏戦争勝利後ドイツ皇帝に
普仏戦争(プロイセン=フランス戦争とも)でフランスに勝利したプロイセン王は、1871年にドイツの皇帝となりました。
1871年にアメリカとイギリスの間で結ばれた条約において、カイザー(ドイツ皇帝)が調停役を務めることになりました。
注目すべきは、どんな紛争もカイザーの言葉が最終決定であったことです。
1871年は、カイザーでもありプロイセン王でもあるオランジュ公が、近代世界の完全な外交的・財政的支配を目指して動き出した年です。
1871年-1918年「透明化計画」
1871年から1918年にカイザーが退位するまでの間、プロイセンのチュートン文化(=軍国主義文化)は世界中に浸透していったが、多くの人はそれに気づきませんでした。
(日本でも同じころ、明治維新直後に、軍国主義が始まっていますね。)
現代の教育の原点はプロイセンにあると言っても過言ではありません。
「幼稚園(キンダー・ガルテン)」という言葉は国家に忠誠を誓い、国家の意向に従う国民を作るという理念から生まれたのです。
ホーエンツォレルン家は、強力な海軍の創設にも乗り出しました。
船や潜水艦を作る試みも行われましたが、最大の功績は、国家に代わって行動する企業を作ったことでしょう。
戦争は、皇帝が最終的な決定者となる条約につながり、その後は、提督と海事法の名の下に各国を支配することになります。
試行錯誤された戦争戦術である浸透と秘密工作を通じて、カイザーは西欧世界の人間の生活のあらゆる側面に浸透していきました。
【表向きの政府の背後には、国民に忠誠を誓わず、責任を認めない見えない政府が鎮座しているのである。この見えない政府を破壊し、腐敗したビジネスと政治の間の不浄な同盟を正すことが、今日の政治家の最初の仕事である。】(セオドア・ルーズヴェルト)
世界はまさに「新世界秩序」という「大義名分」を抱き始めていたのです。
20世紀で最も影響力のある強力な企業であるFRB(連邦準備銀行)の設立に、目に見えないプロイセンが関与していなかったと思いますか。その署名から1年も経たないうちに、第一次世界大戦が本格化しました。
ウッドロー・ウィルソンは、連邦準備法に関わったことを回想しています。
【私は知らず知らずのうちに国を滅ぼした。偉大な国家は、その信用システムによって支配されている。したがって、国家の成長も、我々の活動も、すべて少数の人間の手に委ねられている。もはや言論の自由による政府ではなく、信念と多数決による政府でもなく、少数の支配者グループの強要による政府になってしまったのである。】
その1年後にフェルディナント大公がホーエンツォレルン家の妻とともに暗殺され、第一次世界大戦が勃発します。土地だけではなく、心や精神、そして地球上の人間の行動のあらゆる側面を支配するための世界征服計画が始まったのです。
しかし1917年、偉大なるホーエンツォレルン皇帝と軍事的成功を収めた一族に率いられたドイツは、致命的ともいえる過ちを犯したようにみえました。
ドイツはメキシコにアメリカへの侵攻を促した結果、アメリカはドイツに宣戦布告し、1918年には、ドイツは敗北し、カイザーは退位してしまいました。
しかし、それすらもホーエンツォレルン朝が公的な国家として完全に消滅し、裏の世界に隠れるための計画だったのかもしれせん。1917年には、ドイツ皇帝(カイザー)の手によってあまりにも多くの奇妙な出来事が起こっていたのです。
1917年に起きた重要な出来事を見てみましょう。
続く・・・
『全人類が悪魔支配から脱するためには、結局のところ、先に目覚めた人が 家族/親戚/知人/今日初めて会った人などに “話して伝える” という、地道な作業が必要になります。
何度も何度も大声で、あなたの声を、この世界に響かせてください(エコーチェンバー)。
あなたの声を通して、神からのメッセージが直接伝わります。
"神はあなたが人類を救うと知っていて、あえてこの時代にあなたを選んで地上に使わした" ということを、思い出してください。』
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