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【英王室や議会より力を持った商人たち】



前回の記事【イギリスを支配したドイツ貴族と商人】では、世界貿易とイギリスの発展に欠かせない借用証書(信用状)の起源を明らかにしました。ハンザ同盟の商人たちは、当時の支配者であったオレンジ公ウィリアム3世と協力し、イングランド銀行を設立しました。


このときの無血革命で1689年に制定された”権利の章典”によって、イギリス王室よりもイングランド議会が優位であると確認されました。

・議会の同意を経ない法律の適用免除・執行停止の禁止。
・議会の同意なき課税、平時の常備軍の禁止。
・議会選挙の自由、議会内の発言の自由、国民の請願権の保障。
・議会を召集すること。
・国民の請願権、議会における議員の免責特権、人身の自由に関する諸規定。(wiki”権利の章典”)

これでようやく主権が国民にあると確立されたように見えましたが、ロンドンが実は近代化された企業であったことを忘れてはなりません。

”議員を選ぶ国民に力があるように見せかける”手の込んだ悪ふざけだったのです。


”自分たちに主権がある”という幻想


国民が”自分たちは自由だ”と思うためには、人々が力を持っていて議会に影響を与えられるという幻想が必要です。1600年代後半のロンドンがそうであったように、本当に影響力を持つのは強力な企業、つまり商人たちなのです。

ハンザ同盟の商人や銀行家たちは、目に見えない敵になっていました。


国家と国民に借金を負わせる

1689年、オレンジ公ウィリアム3世は、主権国家に債務を負わせて政治と経済をコントロールするという革新的な計画を、実際に試した君主となりました。これを合法的に行うには、国家と国民を銀行と同じ司法権下に置かなければならず、そのために企業が必要でした。

この壮大なごまかしが成功するためには、すべてが対等な立場で存在しているように見えなければなりません。

シティ・オブ・ロンドンは、主権国家に債務を課すことを可能にする法的構造を提供しました。

【シティ・オブ・ロンドンは、イングランドのロンドン中心部に位置する地区である。周辺地域とコナベーションを形成し、範囲は中世以降ほとんど変わっていない。シティの行政はシティ・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)が執行している。】

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(Eriさん翻訳のこちらのシリーズとも関係のあるお話なのでまだ読んでない方はご覧ください🐸⇓⇓)

【この大陸には “アメリカ立憲共和国”と、この “ワシントンDC”という、二つの国があるのです。この領土は、バチカンやロンドン市のモデルに非常に近いです。ちなみに、ロンドン市は大英帝国の一部ではなく、女王の権威の下にあるわけでもありません。】


1689年にロンドンの新しい企業構造を作り上げ、1694年にイングランド銀行が設立されました。この民間の銀行は、政府の金融機関となり、あちこちで勃発した戦争に資金を供給できるようになりました。そしてヨーロッパを現代にまで続く深い負債に陥れました。


抵当権=死の誓約

国債を発行するために、銀行は国債を担保として保有します。個人レベルでは、ラテン語で「死の誓約」を意味する抵当権(mortgage)を条件として、銀行から融資を受けることができるようになりました。この言葉は司法権と完全に一致します。自然人が死体のシステムに関与する法的権利を保証するために、「法人」が再定義され、人間でないものでもよい法人が含まれるようになったのです。

こうして、企業や非政府組織の台頭が始まりました。


新しい金融制度による奴隷貿易の拡大

1666年から1702年にかけて、ハンザ同盟の商人たちによってロンドンで設立された中央集権的な債務奴隷制度が最も古い形であることがわかります。

新しい金融の出現によって、実際の奴隷制の規模は著しく拡大し、政府公認のグローバルビジネスとして積極的に資金を提供するようになりました。

イギリスでは、アフリカ人奴隷のアメリカへの輸送が始まりました。


奴隷商人 フランシス・ダッシュウッド

ここでイギリス新政府の重要人物であり奴隷商人でもあったフランシス・ダッシュウッドを紹介します。

【経歴:1700年から1709年まで旧東インド会社の取締役を務め、1707年から1708年まで連合貿易会社の支配人となる。兄のサミュエル・ダッシュウッドは1702年にロンドン市長に就任し、その就任式でフランシスはアン女王からナイトの称号を授与された。(英wiki)】

ダッシュウッドは、オレンジ公ウィリアム3世が権力を握った直後から、王室にお金を貸していました。君主にお金を貸すにはどのような力が必要ですか?


王立奴隷貿易会社

フランシス・ダッシュウッドを紹介するのは、人間貨物というおぞましい考え方を紹介したいからです。彼はロンドン市の商人や英国王室と協力してロイヤル・アフリカン・カンパニー(王立アフリカ会社)が最も多くのアフリカ人奴隷をアメリカ大陸に輸送する支援をしました。

【ロイヤル・アフリカン・カンパニー - イギリス奴隷貿易の始まり

1663年、王立冒険家会社に新たな特許が発行されると、奴隷貿易へのイギリスの関与はさらに強まることになる。イギリスは、西インド諸島やヴァージニアへの奴隷売買が金になることに気づいていたのだ。1668年までには、新会社の利益の4分の1以上が奴隷貿易からもたらされていた。


元々「王立冒険家会社」と名付けられていたロイヤル・アフリカ・カンパニーは、王室憲章によって設立されました。

王室憲章とは、君主が特許状として発行する正式な許可書です。大学、学校、自治体、ギルド、組合など、慈善団体としての役割も果たしていた商人たちはイギリスにとって必要不可欠な存在であると考えられていたので、彼らは王室憲章を付与される権利を得たのです。

1660年までに、旧ハンザ同盟の商人たちはイギリス政府に浸透し、彼らの会社は実質的に政府の権力を握り、国際的な権威を持つようになりました。


英王室が奴隷貿易独占

奴隷を売買していたロイヤル・アフリカン・カンパニーは1660年に英国王室によって設立されました。

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イギリス政府は、商人支配の新体制の出現を謳い、1660年に航海法を制定しました。この法律は、イングランドと植民地間の貿易はすべてイングランド船または植民地船で行うことを再確認し、多くの商人の貿易を厳しく制限した。

【王立アフリカ会社の設立は1672年であるが、西アフリカとの交易は16世紀後半より行われており、奴隷の他に象牙や金などを対象としていた。直接の前身は、1660年に設立された王立アフリカ冒険家会社 である。チャールズ二世の弟であり、後にジェームズ二世となるヨーク公が代表を務めた。この会社は一度失敗し、1663年に再結成される。その際、奴隷貿易が独占事項に含まれることが明確化され、他の貿易商人たちの間に不満を生じることとなった。】

【王立アフリカ会社の奴隷は他の密輸された奴隷と区別するため、会社代表ヨーク公 "Duke of York" の頭文字 "DY" または王立アフリカ会社の略称 "RAC" の烙印が押された。】


(ちなみに現在のヨーク公は・・・)



ダッシュウッドの話に戻ります。英国王室が設立した会社と仕事をすることで人脈を確保しました。この人脈と世界的な影響力により事業が成功しただけでなく、1708年に政界入りしました。

兄のサミュエル・ダッシュウッドはロンドン市長であり、12年前に設立されたシティ・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)のCEOを事実上務めていました。

イギリスとヨーロッパでは、中央銀行が貨幣を印刷し、商人銀行家は貿易業務を拡大し、世界中に「貨物」を移動させるようになりました。ロンドン・シティの統治における商人の役割が確固たるものとなったのです。

どのようにして商人たちが議会よりも強い力をもったのでしょうか?多くの商業組合「リヴァリ・カンパニー」が新しいシティ・オブ・ロンドンのもと、非常に強力な役割を与えられるようになりました。

【2015年現在、数にして110あるロンドンのリヴァリ・カンパニーは、少なからず慈善寄付および人脈形成の提供をすることにより、シティの生活において非常に重要な役割を演じている。】

【その起源は、ギルドや同業者組合にある。リヴァリーカンパニーの上級メンバーはリヴァリーマン、フリーマンとして知られ、コモンホールと呼ばれる特別な選挙民を形成している。コモンホールは、市長、保安官、その他の市役所の職員を選出する機関である。】(英wiki)

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議会よりも強い力を手に入れた商人たち

1689年、英国の愛国者たちは、権利の章典によって議会が王室より上位に位置づけられたことに喜びました。しかし国民たちは、ハンザ同盟出身の商人たちがすべての議決権を握っていることに気づいていなかったのです。

つまり、政府を選ぶ権限は市民ではなく、シティ内の有力な企業がもっていたのです。

奴隷商人のフランシス・ダッシュウッドは、「(シティの行政に関与できる)フリーマン」の称号を有していました。市長や政治家、保安官を選出する権利も持っていたため、間接的に事業の安定を図ることができました。この商人たちの独占的な選挙権は、1832年の改革法まで続きました。


一方、ロイヤルアフリカンカンパニ―は1720年代に債務超過に陥り、事業は1750年に議会法によって設立された”アフリカ貿易商社”に譲渡されました。この会社は1821年に廃止され、その財産は王室に帰属しました。

王室とロンドンの商人は、本質的に何の違いもなかったのです。

政府内にこのような企業が権力をもっていることは衝撃的ですが、今に始まったことではありません。長い間、見え隠れしていた現実に”気が付いただけ”なのです。


奴隷制度が社会的に受け入れられなくなると、奴隷主たちは奴隷を世界中に輸送するのではなく、自国内で収益化する方法を考案せざるを得なくなりました。

借金による支配です。

商人・銀行家のグループが、地球を自分たちの貿易路のように支配していることは、今や明白になりつつあります。1694年のように、投票権を所有し、ルールを決めているのは商人たちです。


アメリカの例ですがこちらも参考にご覧ください⇓⇓

【アメリカ合衆国において、(実質的な意味での)国家統治の条件を満たし実行支配している組織(連邦政府)が「ワシントンDC法人のアメリカ株式会社」であること、また、その実体は単なる民間企業でありながら、実際には国家運営に携わる権限を有しているということなのでしょう。

このようにアメリカ合衆国は、領土的な意味では「北アメリカ大陸に存在する一つの国家」ですが、もう一方で「国家を運営する事業体」という側面を持っています。これらを「別々の国」として分けて考えているのがクリフの主張であり、実際に国家運営の構造的なバックグラウンドがこのような状態であることを窺い知るのは想像に難くありません。】



余談ですが、↓は「東京都とシティ・オブ・ロンドン・コーポレーションの交流・協力に関わる合意書」です。日本政府ではなく、東京都との合意だということです🤔


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