あーばん日記 24.8.28
毎月25日はお姉ちゃんの月命日で、今年の8月25日は36回目の命日だった。
33回忌が終わった後、久しぶり集まった兄弟(兄、僕、妹)を集めて、お父さんがめずらしくかしこまった口調で、次は50回忌になるけど、お父さんもお母さんも生きているか分からないので、多分これが最後の法事になりますってゆっくり話した。いつも淡々としているお父さんがさみしそうだったのを覚えている。
お母さんはいつもお盆の法要のときに泣いていた。お母さんはよく、あんたはお姉ちゃんの最後の手術の前に、お姉ちゃんに食べたい物は?って聞いたら、唐揚げって言うから作ってあげたのに、お姉ちゃんの口の中まで手を突っ込んで取って食べていたって話をする。お姉ちゃんは自分の唐揚げを食べずに僕に食べさせてくれていたそうだ。
当時、僕は3歳でお姉ちゃんの記憶がまったくない。まったくないってあるのかなってずっと考えているけど、もしかしたら悲しくならないようにお姉ちゃんが魔法をかけてくれたのかもしれないって本気で思っている。
お母さんは個人でマッサージ的な仕事をしていて、公式LINEみたいなものも開設してるんだけど、そこに日々の日記のようなものをあげている。
これからの文は、この前あげていた公式LINEの文章から抜粋している。
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36年前の今日は、長女こころの6歳の誕生日で、告別式でした。
25日の朝、須磨のこども病院で心室細動が突然起こったのです。
心臓手術後、21日目の事でした。
病院から連絡があり、車で神戸まで走りました。10時半過ぎに病室の前で見た光景に言葉を無くしました。
主治医の先生が出て来られ、経過の説明を受けました。
「可能性は?」とお尋ねすると、
「ありません!」と、
「心肺蘇生をやめてください!」とお願いしました。
「止めると、心臓が止まりますよ!」
10時55分でした。
夫は出張で中々連絡がつかず、夫の職場の上司の方が、職員の方と一緒に加古川にいる夫を迎えに行って、神戸まで来てくださいました。
病院には14時頃に着き、地下の霊安室の娘を見て、言葉を無くしていました。
私の車を職場の方が乗って帰ってくださいました。
上司の方の運転で、後部座席に上半身を夫が、下半身を私が抱いて自宅に帰りました。
苦しくて、悲しくて泣くことも出来ませんでした………。
今でも昨日のことのようにハッキリと覚えています。
昨夕、自宅からの風景が綺麗でした。
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いつも実家に帰ったら、仏壇で自分の近況をお姉ちゃんに話している。
細木数子さんがテレビに出ていた頃、ご先祖様には、お願いをするんじゃない、いつも見守ってくれてありがとうございますって感謝を伝えるんだって言われていて、それからいつもありがとうって言うようにしている。
今年のお盆は帰れていないので、また近いうちに帰ろう。
実家のカレーも食べたいしね。
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