平和のために、服の毛玉をとる

 戦闘が激化する彼の地(かのち)を思いながら、洋服についた毛玉をとっていました。もう捨てようかと思っていましたが、手入れをしてまた大切に着ることにしたのです。

 彼の国(かのくに)の大統領について「戦地へ向かう兵士を英雄視して美談にしている」と批判もあるそうです。そうかも知れませんが、戦わなければ死んでしまうような場所、国がなくなってしまうような状況において、美談かどうかは重要でしょうか。士気を上げて、生きることを諦めないような言葉が必要な場合もあると思うのです。平和でない場所ではそういうことが起こります。

 平和な場所での常識が戦地で通用するとは限りません。彼の国はそういう場所になってしまった。

 彼の国の為に、平和な場所に暮らす私にも出来ることがあります。支援物資やら募金やらデモの参加やら、そのあたりのことです。直接大きな行動をしなくても、彼の国の支援を表明している企業の製品を買う、とかでも良いと思います。そう考えると、中長期的には「人と仲良くする」とか「ものを大切に使う」とかも支援になると思うのです。「人と仲良くする」ことを心がけている人が、自らすすんで子どもを撃ち殺すことはないでしょう。「ものを大切に使う」人が他人の命を無駄にすることはないでしょう。

 もし、この国が戦争状態になって、道徳や正論に意味がなくなってしまっても、「人と仲良くしてきた」事実や「ものを大切に使ってきた」事実は無くなりません。服の毛玉をとった記憶が、いつかの平和のために生きていますように。

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