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最初の転職

帯の商社に就職して
いくつもの初めてに出会った。
配属されたのは倉庫というべきところ。
そこには当然だが、数多くの着物や帯が大事に保管されていた。
まず、その種類の多さに戸惑った。
いまはすっかり忘れたが袋帯、名古屋帯、八寸、五寸、角帯・・、
とにかくそれらを覚え、営業の指示で引っ張りだし、店に届ける。
その流れの中で着物・反物の扱い方ができるように
ならなければならなかった。
反物を巻くだけでも慣れが必要であった。
そんな珍しい体験は面白かったが3か月後には迷い始めていた。
学士入学して、もう一度、大学に入りたい。
大学院へ進む友人も何人かいた。
法学部卒の私はそういう道ではなく、理系に入り直したかった。
費用の安い国公立の学校が目標であった。
学生時代といっても数か月前前まで一緒に活動をしていた
友人Fが時折やって来て、私の迷いを聞いてくれていた。
Fは大学の闘争の中で、単位不足があきらかになり、中退、
大阪府下の医院の事務長として働き始めていた。
八月の暑い日だった。
Fが「大阪の病院の事務の仕事をしないか」とやってきた。
「いまのままだと試験勉強はできないだろう。私の医院より
大きな病院を紹介するよ。環境がいいし、勉強もできると思う。」
Fの話に乗ることにした。
帯の商社をそそくさと辞め、大阪の病院へ転職。
事務長代理としての再就職であった。


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