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トンガ、はじめての冒険

ちょうど50年前、高校生になりたての頃、家族でトンガに移り住んだ。

そのトンガで父がぼろいディンギーを手に入れてくれ、白いプラの水道パイプに角材を突っ込んでマスト代わりにし、セールを切ってガフリグにして家の庭続きのラグーン(湖のような穏やかな内海)で遊んでいた。

日本でクルーザーには乗せてもらってたけど、ひとりでディンギーに乗ったのはこれがはじめてだった。船体が重くてヒールなどせずディンギーと呼べるものではなかったけど、楽しくて学校から戻ると夕食までの間、ラグーンを行ったり来たりしていた。

そのセーリングに飽きてきたころ。ラグーンから細いパッセージ(水道)を抜けていくとエメラルドグリーンの外海に出れそうなのを地図を見て知っていたぼくは、思い立ってその細いパッセージに向かっていた。外の海でこの愛艇を走らせてみたい衝動に駆られた。パッセージの両岸は深いマングローブに覆われていて民家も見当たらない。
初めて見る景色を横目にわくわくしながら進んで行くと、パッセージはいつのまにか川のような流れに変わり、船は吸い込まれるように外海に向かってものすごいスピードで押し流されていった。引き潮に当たったようだ。しだいに水深が浅くなり、センターボードがパッセージの底に当たりはじめ急ブレーキがかかったような衝撃を何度も受けた。センターボードを上げ、コントロールが取れなくなって船を降りた。腰ぐらいの深さで、船を引っ張っていって岸に寄せる。水底は泥のような感触で、踏み込むたびに10cmほど沈み足をとられる。ビーチサンダルは脱げて流れていってしまった。泥の中に貝のような筒の突起が潜んでいて、まともに踏むと足の裏に丸い穴が開いてしまう。
外海に向かうパッセージの流れは依然として速く、まるでヘミングウェイの「海流の中の島々」の本の中にいるようだった。その流れに逆らって戻ることはできない。あたりは薄暗くなりかけていて、水に濡れたTシャツが冷たくて震えが止まらなかった。動きたくても動けなかった。

遠くで車のクラクションの音が聞こえる。車のライトが対岸のマングローブ越しに光が動いているのが見える。それほど暗くなってしまっていた。車が止まり「おーい!」と呼ぶ声がする。「おーい!」と叫び返す。声が震える。

対岸のマングローブの隙間からトンガ人の大男が現れた。父も一緒だった。大分緩やかになった流れの中、胸まで水に浸かり、ゆっくり水道を渡りトンガの大男が来てくれた。始終無言で、ディンギーのバウのひもを引いて父の元まで引っ張っていってくれた。


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