好美のぼる『蟇少女』切ないストーリーに隠された本当の恐ろしさ

 好美のぼるの『蟇少女』は本当に恐ろしい漫画です。私はこの漫画を読んで、その恐ろしさに震えあがり、またこの漫画が持つ高度な物語構造に興奮をも覚えました。『蟇少女』には貸本怪奇漫画によくみられる、子ども達の怖いもの見たさを満たすためのグロテスクな描写と残忍なストーリーというだけでは説明のつかない恐ろしさがあります。
 こんな風に書くと、『蟇少女』を読んだ読者の中には「そんなに恐ろしい漫画ではなかったぞ。」「ハッタリをかますな。」と思う人もいるかもしれません。実際、私も最初にこの漫画を読んだ時は恐ろしい漫画だとは思いませんでした。恐ろしいというよりも、切なく哀しい漫画だと思いました。 

健気で正直で心優しい少女あやめと善良な母親。その二人の親子愛を永遠に引き離した心の汚い大人たち。拝金主義に取りつかれた男たちは遂に人の命を奪うまでに暴走し、死してなお再会は果たされぬ親子の声はやがて風に吹かれる葦の葉ずれと区別がつかなくなる…。
人間とは残酷なものであり世界とは無情なものであると読者につきつけるかのように、この物語は風に吹かれる葦で始まり風に吹かれる葦で終わります。
なんとも心に残るこの切ない読後感に魅かれて、私はこの漫画を何度となく読み返しました。一つの作品を偏愛したことがある方には覚えのあることだと思いますが、同じ作品を繰り返し読んでいると不可抗力的に作品の持つ色々な面が見えてきます。今回の場合も例に漏れず、私はある時急にこの漫画が持つ恐ろしさに気付き、震えあがってしまったのです。
勿体ぶってダラダラと文章を長くするのは良いことではありませんから、本題に入ります。私がこの漫画を恐ろしいと思いはじめたのは、「沼のガマたちはあやめを利用しただけなのではないか。」と気付いた時からです。
一度このように思ってしまうと、その後何度読み返してみてもガマたちの行動はあやめを利用しているようにしか見えなくなりました。ガマたちの方から最初にあやめにアクションを起こすのは、魚を獲りに出かけたあやめに蛙石を与える場面です。あやめは「まアきれい」と言って子どもらしい反応を示しますが、同時に「ほんとはお魚がとれるほうがいいんだけどな」とも言っています。その言葉のすぐ後にガマたちがあやめに大量の魚を与えることから、ガマたちはあやめの言っていることはかなり正確に理解しているようです。
あやめに大量の魚を与えることは、いつもご飯の残りを持ってきてくれたあやめへのお返しとして妥当なものに思えますが、蛙石の方はどうでしょうか。
あやめは蛙石の価値を理解していません。魚が欲しいとは言っていますが、蛙石が欲しいとは一言も言っていません。それどころか、蛙石をガマたちに返そうとしても押し付けるように強引に蛙石をあやめに与えてきます。ガマたちがあやめの言っていることを理解しているとすると、これはご飯のお礼ではなくガマたちがなにか他の意志を持って行動しているように見えます。ここでひとつ指摘しておきたいことは、あやめが蛙石を持つことがなければ、ガマたちに蛙石を返すことが出来ていれば、物語はここまで悲惨な方向へ進むことはなかっただろうということです。
大量の魚をあやめから奪ったおじさんはガマたちに殺されますが、これは「吾作さんが溺れ死んだ」ということになっています。母親が「あの人がおぼれるなんてね」と言っていることからも、誰もあやめのことを疑ってはいません。この時点では悲惨な運命はまだあやめには向かっていません。悲惨な運命があやめに牙をむくのは、やはり蛙石を契機としてなのです。
あやめが蛙石をガマたちに返しても何度もはね返される場面で、タイミングよく男が現れ、男は蛙石を目にした瞬間に取り憑かれたように暴力的になります。
この場面は印象的な場面です。この場面から一気に物語が悲惨な方向へ進んでいくというストーリー面での印象深さも勿論ありますが、同時に漫画表現としても非常に印象深いのです。限られたページ数でグングン物語を進めていくのは好美のぼるの得意とするところであり、この漫画でもその手腕は遺憾なく発揮されています。ところが、この場面では「蛙石を沼に返す。しかしはね返ってくる。」というあやめの動作に6ページも使っています。スピード感が醍醐味の好美のぼる漫画ですので、読者はこの場面で少し立ち止まるような印象を受けるのではないでしょうか。これは主観なので誰もがそう感じるわけではないでしょう。しかし、この場面ではコマ割りに他の場面では見られないようなギミックが仕掛けられていることからも、好美のぼるがここで表現に緩急をつけていることは間違いありません。ガマたちの不気味な後ろ姿も相まって、あやめに悲惨な運命をまねきよせるために、ガマたちが男が来るタイミングを見計っていたように見えてならないのです。
蛙石は男たちを狂わせ、遂には母親が殺されます。もう一度言いますが、ガマたちがあやめに与えたものが大量の魚だけだったらこんなことにはならなかったはずです。

母親が殺されたことを知ったあやめは「もう母ちゃんもいないし いいわ あたし死んでも」という言葉と共に水の中に入り、蟇少女へと変身します。変身した後のあやめがグロテスクな姿と共に喋り方も大人びたものへと変わっていることに読者の誰もが気付くことでしょう。
「あたちをまってるもの」「おいちいわよ」「またあちたね」と舌ったらずな喋りをしていたあやめは、蟇少女となった後は高圧的な敬語や命令形を使いこなし、もうかつてのあやめではないことが強調されます。読者はここで、あやめは少女性を犠牲にして蟇少女になったのだと気付きます。少女性(=処女性)を犠牲にして超常的なものと交信するというのは世界中どこにでもある伝説です。

男が投げた石が蟇少女の体をすり抜け、「あたしに当ると思うの」と言うセリフからもあやめはもうこの世の物理法則から外れた超常的な存在であることが分かります。そして、あやめの変身と同時にガマたちもまた変身しているのです。人食いガマへの変身です。蟇少女となったあやめと共に現れたガマたちは人食いガマになっています。「グワッ」という鳴き声の後に描かれるのは「コロリ」という音と共に描かれる骸骨です。
これより前にもガマが人間を襲う場面はあります。しかし「グワッ」という鳴き声と共に襲い掛かっても、驚かせることが精々で危害らしい危害は与えられていません。また、吾作を溺れさせた時も、その肉を食った描写は描かれていません。肉を食っていたら骸骨が浮かぶはずですから、もしそうであったらもっと大変な事件になっていることでしょう。ガマたちは、あやめが蟇少女となった時に初めて人食いの能力を手にいれます。
この漫画のストーリーはあやめがガマたちと結託し殺された母親の復讐をする話にも読めます。その一方で、蛙石を契機に母親が殺されること、あやめが蟇少女となった瞬間からガマたちが人食いをはじめること、この二つの描かれた事実から「ガマたちは人間社会を侵略していくためにあやめを利用した。」という不穏なストーリーも立ち現れてくるのです。

『蟇少女』の切なく哀しいラスト、あやめと母親が結局会うことが出来ずに終わるラストも、読者の胸に切なさを誘うためだけに描かれたのではありません。大量の魚がどこにいるかを知っていたガマたちです。沼の主ともいえるこのガマたちが母親の死体が沼のどこに沈んでいるか知らないとは到底思えません。ガマたちが本当にあやめの味方であるならば、最後に母親と引き合わせてあげるくらいのことはしてあげるのが筋ってもんではないでしょうか。物語がそのように終わっていないのは、人食いガマと化したガマたちにとって最早あやめに利用価値はなく、用済みとなったあやめはあっさりと見捨てられたからだと私には読めます。

ただその沼の近くに住んでいたという理由で人知を超えたなにかに巻き込まれ、純真無垢な少女の優しさも善良な母親の愛もガマたちにとっては結局のところ無関係で、最後には善人も悪人も皆死んでいる。この理不尽さが本当に怖い。
そしてこの「理不尽さ」をストーリーで巧妙に隠しているのがこの漫画『蟇少女』の白眉です。ストーリーに隠されているものに気付いたときにゾッとするから恐ろしいのであり、また面白いのです。
『蟇少女』では何故こんなに巧妙に恐ろしさが隠されているのか。これはやはり語り部の存在によるところが大きいでしょう。好美のぼるといえば独特なナレーションが特徴です。『蟇少女』でもこのナレーションは炸裂しています。ですが、併録されている『奇形児』と比べると『蟇少女』のナレーションは少し変わった趣きががあります。伝説を語っているという体裁で話が作られているため、ナレーションがただのナレーターではなく語り部の役割を担っています。そしてこの語り部が切なく哀しい物語として親子の話を語るので、読者はどうしてもその語りの視点に引きずられ、そのように物語を受け入れてしまいます。
しかし、何度も読んでいると、「もしかしてこの語り部は全てのことを知っている訳ではないのではないか。」「この語り部は大きな勘違いをしているのではないだろうか。」という疑問が浮かんできます。
お話をメタ的な視点で語る語り部と視点を同一にして漫画を読んだ後、語り部も物語の一部であるということに気付いてもう一度漫画を読み返す。この読書体験を通じて、一つの漫画の中に全く別の恐ろしさがあることを読者は発見するのです。これは『蟇少女』がまず最初に切なく哀しいストーリーとして演出されきっているからこそ、二重構造ともいえるこの漫画のバランスは完璧に保たれているのでしょう。単純なミスリードものになっていないところが素晴らしい。
『蟇少女』では語り部が情感を込めて伝説を語るという役割を全うしているからこそ、切なく哀しいストーリーの背後に隠れた恐ろしさが顔をのぞかせるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?