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社会の優しさになれるように。

いまから、ちょうど11年前。
地元のセブイレで絶望したことを、いまでも覚えている。

「人生はもっとおもしろいはずや。」
藁にもすがる思いだった、頭からからつま先まで抽象的な22歳の僕は、その時に就いていた仕事に明るい将来を見出せず、ハローワークに行くも同じ内容の仕事ばかりで、セブイレにあったフリーペーパーを片っ端から取り、そのまま駐車場で全て読み込んだ。

しかし、中卒でスキルがない僕を受け入れてくれそうなのはバイトか同じ職種だけ。

絶望した。

「社会は僕を必要としていない。」
ほんまに絶望した。


あの日から11年後の2021年4月16日。
3年間勤めた、一般社団法人シェアリングエコノミー協会を退職しました。

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あの日の振り返れば、リモートワークで働ける自分は想像できなくて。

自分のバックグランドを個性と認めてくれる、心ある人たちと働けるなんて考えられなくて。

特別なスキルもなく愛想しかない僕と、こんなに多くの方と仕事をご一緒させていただけるなんて、信じられなくて。

なにからなにまで、いまの自分を想像できなかった。

挑戦もした、努力もした。
でも、なにより受け入れてくれる人たち、社会に出会えた奇跡に、ただただ感謝しかないです。

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そんな僕に転機が訪れたのは、2019年に関東地方を直撃した台風15号で甚大な被害を受けた千葉県にボランティアに行ったこと。

関係企業であるクラウドワークスさんの有志メンバーがボランティアに行く、と情報を受けた僕は前日夜中に志願して同行させてもらった。

車で2.5時間ほどで到着した地は、家の屋根が飛び、道路は瓦礫だらけ。
現地の方に手伝えることはないですか、と伺うと

「なにから、なにまで手伝って欲しい!」と。

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たった1日だったけど、瓦礫を拾い、屋根にブルーシートを張る手伝いをした。

帰り道。
車を運転しながら思った。

「困難に直面している人を無視して、明るく優しい社会はありえない。
僕には、まだまだやらないとあかんこと、やれることがあるんじゃないか。」

この思いはフツフツと、ジンワリと確かなものに変わっていきました。

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そして、5月からは「日本のワーキングプアをなくそう」をミッションに掲げ、テクノロジーを駆使して就労支援に取り組む株式会社Compassの一員になります。


家族で兵庫県の明石市に居を移します。

11年ぶりの関西。

あの日、絶望して以来の関西。

あの日から今があるのは、シェアリングエコノミー協会のメンバーであり、この11年で手をさしのべてくれた人たち、社会でした。

次は、あの日の僕と同じ気持ちの人たちが優しい社会に出会えるように少しだけ、そして力一杯に手を差し伸べられるようにがんばります!

「優しい社会を一緒に作ろう。」
こう声をかけてくれた大津社長と、このビジョンに共感した個性抜群なメンバーと一緒に。

改めて、シェアリングエコノミー協会にいた3年間で出会ったすべての方々に感謝しています。
皆さんのおかげで、いまがあります。

この”いま”をつなげていくために、挑戦しますので、引き続き仲良くしてください。

よろしくお願いします!ありがとうございました。

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