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「黄昏とは」について語りたい

全曲レビュー書く、とか意気込んで見たものの、さてその前にとりあえずこれだけは、と思って「黄昏とは」についていろいろ書いてみたい。

というのも、今のまなみのりさの充実度を測る上で「黄昏とは」は一つの指標とも言えるのではないかと思ったから。この曲が初披露されたのは8/8の12周年ライブのduo、ラストの曲として披露され、最後のみのちゃんの絞り出すようなアカペラと、ヒューリックホールでまなみのりさの13年間の全てを観せる、と宣言したエモさが先立ってしまうが、初披露だけにまだまだ緊張も感じられる仕上がりだった。そもそも女声で歌うにはAメロはかなり低い音の難しい曲。相当な歌い込みが必要だろうと思った。あれから4か月。イベントやリリイベで披露すること約20回。大体2回に1回の割合で披露していたことになる。その度に自分たちの曲として歌いこまれているのが手に取るようにわかった。

そして迎えた12/13の「黄昏とは」。途中からですが、

もうね、ほぼ完ぺきと言っても良い出来だったのではないかと。完全に自分たちの手の内の武器として歌いこなしている感じだった。わずか4か月でここまで持ってきてしまうまなみのりさの今の充実ぶりと13年目にしてまだまだ衰えることのない成長具合が垣間見れるのがこの曲だ。

そして、今となっては割と知られていることではあるけれども、この曲、実は書き下ろし曲ではない。作詞作曲を手掛ける津久井恒仁さんがかつて所属していたグループ「ammoflight(アンモフライト)」のオリジナル曲なのだ。

この話をひできさんから聞いたとき、「なるほど」とすべてが瓦解したのを覚えている。歌詞の内容は明らかに男歌なのはともかく。女声にはいきなり低いところから始まるAメロ。2番のBメロの不自然なりっちゃんの「YEAR」。そして歌詞の中にも「それでも消えていくんだなぁ」という、およそまみりらしくないフレーズが含まれていたから。オリジナルがあるということであればすべてが納得だ。

復活後のまみり曲で書き下ろしでない曲、といえば「カフェテリア」(オリジナルシンガーはcuina)が真っ先に思いつく。いずれもすでに解散してしまったバンドの曲。それを再生させるだけではなく、あたかもオリジナル曲であるかのように、まなみのりさの世界観がつまった曲へと進化させているのがスゴイ。

そしてこの曲、先のような若干の違和感はあったにせよ、これほどまでにまなみのりさにピッタリな曲もなかなかないんじゃないか、と思う。よくぞ掘り出してきてくれました、の気持ちだ。

なんと言っても心にグッとくる歌詞。それはラストサビの

「辛く、楽しかったよな」

のフレーズだ。

8/8のMCでみのちゃんが言っていた。長く続けていることで、楽しいことばかりではなく、辛いこともたくさんあった、と。それでも続けてこれたのは、楽しいことのほうが辛いことよりも少しだけ多かったから、と。

この4か月だって、必ずしも順風満帆ではなかった。11月の頭にまなさんが体調を崩して1週間の離脱(ちなみにこの時もみのりさの2人で「黄昏とは」を披露していた。おかげでいつもはまなさんパートの「初恋 実りはしない」のフレーズをみのちゃんが歌う、というレアな体験もできたのだけれども(笑い))。

そして復活したかと思ったら、まなさん立て続けに頸椎ヘルニアが再発して首を動かせない状態に。でも、普通に考えればそんな辛い状況も、かえってチャンスとばかりに2人まなみのりさのエモさを魅せ、首が動かせなければコルセットをしても踊り、観ている人たちの心を掴んでいった。ハンデがあってもここまでやれるのだから、完全体になったらどれだけスゴイんだろう、と。そしてその期待に応えるかのようなヒューリックホールのステージだったと。

そしてこの「辛く、楽しかったよな」が3人のユニゾンであることが、この曲をまなみのりさのモノにしてるなぁ、と言える。

そこまでのフレーズ

「僕はひとりじゃないよな」
「君は笑っているよな」
「やっぱりひとつだったよな」

これが3人それぞれのソロパート、そしてそこからの3人のユニゾン。まさに3人が声を揃えて、これまでの長い道のりを「辛く、楽しかったよなぁ」と語っているように聞こえて、どうしてもここでウルっと来てしまう。そのユニゾンから、まみりの真骨頂でもある3声のハモリで、ワ―っと世界観が広がるからね。これはオリジナルでは表現できなかったこと。まさにまなみのりさ「だからこそ」表現できた部分だと思う。

今回のヒューリックホールのワンマン、MCでお涙頂戴みたいなものはなかったけれども、その分自分たちの思いを歌にこめる、というのはこの曲でも十分伝わってきた(前半最後の「宿題」もそうだけど)。

そしてもう一つ、最後のフレーズが、じつは一か所だけオリジナルから書き換えられている、というのもイカしてるエピソードだな、と思う。これもひできさんに言われて気が付いたのだけど、

「時間が君を連れ去るまで」

の部分が

「陽が昇り朝が来るまで」

に変わっているのだ。

「それでも消えていくんだなぁ」の違和感については先に書いたけど、言われてみればこれもオリジナルの歌詞だとちょっと過去を引きずるような歌詞だったのか、むしろ前向きに進んでいくイメージとなって、正に今のまなみのりさにピッタリの曲になったと思う。

とくに復活したての頃の曲は、歌詞にストレートに思いを詰めている曲が多かったと思う。「宿題」「…バイナリ」に限らず「反逆…」「ORION」「TOKYO」もしかり。そして最近の曲は、タイキさんの言うようにちょっと恋愛の歌詞に絡めて今の状況を表現している、というのは感じられる。「かかとを鳴らして」なんかそうだし、逆の意味ではもっと気楽に行こうと自分たちに言い聞かせる「LUCK SONG」なんかもそうだよね。

で、この「黄昏とは」については、元々の曲がかなり今のシチュエーションを表しているものを、3声の組み立て方とワンフレーズの改変で、完全に自分たちのモノにした曲、というイメージ。こういう曲もまた稀有な存在だなぁ、ということでとにかく書き留めておきたかったのですよ。

…といったことを、少しだけ語っていいかなぁ(笑)

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