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メジャーで道路の幅員を計測した日

[備忘録]21日目【頼れない】

2009-03-29 19:01:22

自己憐憫もはなはだしい言葉が綴られている。17年前の自分が哀れに思える。どこの扉を叩いても開かなかったどころか、ギロチンシャッター状態だった。



反応の男女差 ー共感と理解も支援も得られるものではないー

女性は他人事のように私の話を聞く。男性は二言目には、僕に出来ることはありませんね。とシャッターを下ろす。幾人か繰り返し同じ反応を経験し、もう誰にも頼れないと悟った。私の周囲には力になってくれる人は皆無だったのだ。自分はここまで人徳のない人間なのかとも思った。
中には、知り合いの損保の営業を紹介してくれ話を聞いてくれる人物もいた。しかし本当に話を聞くだけで終わるのである。そこから先には繋がらない。「話を聞くだけなら=本当に話を聞くだけ」だった。こちらは藁にもすがる思いで何かこの状況を打破できるヒントはないか解決策はないか出来ることはないかと必死で看護しながら調べに調べていた。人の命がかかった事故だ。周囲の想像力の欠如に落胆もした。事故自体を解決して欲しいと思っているわけではい。何でもいい突破口が欲しかった。一人で抱えるには大きな問題すぎた。しかし大事を頼まれたら困ると及び腰になるもの。巻き込まれたら面倒だと遠巻きにしていくものが大半だった。それこそ体に気を付けてと去られるよりも、ペットボトルの1本でも渡してくれただけで気持ちは救われただろう。

平成18年度 内閣府の犯罪被害者等に対する国民の意識調査の結果から ―― 適切な支援が受けられない犯罪被害者等と人々の意識のギャップ ――

平成18年度 内閣府の犯罪被害者等に対する国民の意識調査の結果のうち「第4章 国民一般の持つイメージと被害者等の実態とのギャップ」がある。最もギャップがあったのは「カウンセリング等精神面でのケア」次に「被害者団体、支援団体等からの支援」や「裁判に関する手続についての弁護士等による支援」と続く。

被害者やその家族がこれらいずれの支援も受けることができていないと考える国民一般は1割しかいないことからも、被害者は何かしら支援を受けているはずだという固定観念が国民一般の中に存在することが推察される。

しかし実際は強姦・強制わいせつ等6割、交通事故等の5割、殺人・傷害等の3割の被害者やその家族が、設問に挙げたうちのいずれの支援も受けられなかったと答えている。

以上の意識調査の結果からも、私の周囲の人間は、「何かしら支援を受けているはずだという固定観念」が強く存在し、自分に出来ること決めつけ決めつけ線引きをする距離を置くといった行動に移ったと考えている。

やる気のない加入損保 「目視したのみ」

加入損保に道路の幅員を計測したか問い合わせた回答は、「目視はしました」のみ。言葉がない。加害者は道路のセンターラインははみ出していないと主張しはじめていた。ゆえに、私はそんなはずはないと反論していたのだ。しかし、加入損保は早く弁護士に委任しろとばかり自分達は関わり合いたくない手に負えないというのが見え見えだった。だったらそれなりの弁護士を紹介しろと言いたかったが。それすらもなかった。弁護士なんて簡単にみつからない。高次脳機能障害に、交通事故に精通している弁護士でなければ簡単に委任などできない。弁護士難民状態に陥っていた。では、今、家族が出来ることは何か。できるだけ事故現場の情報を記録することだけだった。こうした事故現場の保全や記録を手伝ってくれる友人がいたらどれだけ救われただろうか。もう自分に出来ることはありませんねと言う人間に期待しても無駄である。所詮これが人間なのだろう今なら思えるが当時は本当に惨めで孤独で悲しかった。

コンベックスと養生テープ

現場のオイル痕や、破片の状態、事故から20日以上経過してもオイル痕は残っている。それらを一枚一枚写真に収めた。そして道路の幅員の計測。私のような素人はロードメジャーなどもちあわせているはずもなく、せいぜい持ち合わせていた物はノーブランドのコンベックス5m。養生テープを腕にはめ中央の白線に貼り付け歩道まで伸ばして写真に収めた。ほぼ車は来なかったが、その最中1台だけ通り抜けた車にコンベックスは見事に潰され折れ曲がって金属音を立て宙に浮いた。今でもこのひん曲がったコンベックスは引き出しの中だ。