現実から逃げて自分を優先した話
こんにちは、徒花です。
世の中はお盆休み。ご実家に帰る方も多いのではないでしょうか。
盆正月くらいは実家へ、なんてよく言ったものですが、例に漏れず私も実家へ足を運びました。
生憎夏季休業がある企業ではないので、連休に有給をつけただけの弾丸帰省です。
そんな私が今回の帰省で感じたことを書いてみようと思います。
転職という転機
就職後、転職するまでは地元にいた私。
手取り額からしてひとり暮らしなど到底できるわけもなく、親も望んだので実家にいました。
初年度から仕事は嫌で、正直辞めることばかり考えていましたが、両親からの猛反対もあり結局3年留まることになりました。
転機は3年目の終わり。
今お付き合いしている彼と出会いました。
コロナ禍を経て、新たな出会いに刺激を受けた私は、思い切って転職を決意。
反対されるのが面倒で、この時点では親にも黙っていました。
そして結果として、県外の企業の内定を受けることにしました。
内定を知った両親は当然猛反対。
お互いに譲ることはなく、妥協案として定期的な帰省というところに落ち着いてもらいました。
この時点で私は、親に対して大きな譲歩をしてもらった形となりました。
父の我儘に耐える母の図
結果として家を出た私ですが、その頃から薄々、けれどどこかはっきりと思っていることがあります。
私は母に、父の困った性格を含め、父のことをすべて押し付ける形になったことです。
毎日の食事はもちろん、一緒に出かければ通る道ひとつに文句を言われることもしばしば。
私が実家にいる頃からそうでした。
父も極悪人ではありませんから、そんなことばかりではありません。それでも、1つの悪い行いは10の良い行いを帳消しにするくらいの威力があると思います。
それを私は、母に押し付けて逃げたのです。
そして結果的に今の母は、父の我儘にため息をつきながら、日々生活をしているのだと思います。(もちろん、そんな日ばかりではないとは思いたいですが)
実家を出て、それなりに悠々自適な日々を送る私と、実家で父の我儘につきあわされている母。
ひどく対照的な姿に、私も時折引け目を感じることがあるのです。
自分の人生を優先した罪悪感
詳しく書くことは控えますが、今回の帰省では、やはりあのとき、自分のことは後回しにして、母の擁護者として実家に居続けるべきだったのではないかと思う出来事がありました。
あの家では父と母の二人しかおらず、父の我儘を母が自分の心を押し殺して耐えていると思うと、やはりガス抜き要員として自分はあの場に留まるほうが良かったのではないかと。
でも、今の生活をしている私にとって、あの環境に今も囚われているというのは考えたくないことでもあります。
最大の親孝行であった「実家に残る」という選択を捨てた私は、親不孝者なのだと思います。
そう思うと、どうしようもなく自分自身のことが嫌になるのです。
子の幸せ=親の幸せ論
よく言われる「親の幸せは子どもが幸せに暮らしていること」という論。
私はそれを信じていません。
いくら子どもが幸せだろうが、自分の置かれた環境が地獄なら、幸せとはとても思えないと考えているからです。
今の母の環境が地獄とまでは思っていません。
けれど、幸せかと言われると疑問符は残ります。
ある意味足るを知る中で、些細な楽しみを摘み取って生きている。私にはそう映っています。
同時に、心を押し殺し続けて、自分のやりたいことを見失ってしまったようにも映ります。
最大の親孝行である「親の理想を叶える選択」を捨てた私。この負い目をどう抱えて、どう折り合いをつけて生きていけばよいか。
そんなことを考えた、ある夏の帰省の出来事でした。
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