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離婚までの道のり2️⃣


さて、前回の続きを話そうか。
お世辞にも上手いとは言えない文章だが、私の諸々の供養に付き合って頂けると有難い。


自堕落な生活に終止符を打ち、真っ当な生活を送ろうと藻掻くこと数年。
薬の効果も手伝ってか、少しずつ家の事が出来るようになってきた。(まだ表情は乏しいままの時期)
所謂、指示待ち人状態で、自発的に行動を起こすことは出来ない状態だったが。
入院勧告が出ていた状態を思えば前進していた。
亀の歩みでも構わなかった、回復しているのならば。

この時点では、旦那は子供達に誕生日プレゼントを渡したり、それなりに関心があったようだった。
私に対しては相変わらずだったが…
母や弟などと変わらず笑い合う旦那…。
外面のよい奴の裏側を、何度暴いてやろうかと思ったか知れない。
月に1度奴が訪問してくる度、血が滲むほど唇を噛み締めたことを、私は一生忘れないだろう。


そして時は流れ、子供達が2人とも小学生になる年…
旦那はまたしても失踪した(2回目)
前回すぐに捕まったことも踏まえてか、この時はかなり用意周到だった。
私は、もう何も驚かなかった。
いや、どうでも良かったと言った方がいいのか。

娘が小学生に入学する大きな節目の年に、いや、家庭がある身でありながら自己都合を優先して逃げ出してしまう感覚が私には本当に理解できなかった。
何よりこの時、霞ほど残っていた情も尽きた。

とりあえず
アパートを契約したまま放置する訳にもいかないし、職場も飛んでしまっていたので、諸々の契約を片付ける為に奔走した。
(失踪したことを知ってすぐに警察に届けは提出済)

まず職場に向かい、誠心誠意謝罪した後、必要な書類にサインをしたり印をついたりした。
大きな企業であったことが幸いし、仕事自体はすぐに他の人に引き継がれたらしい。
だが、迷惑をかけたことに変わりはない。
時間に都合のつく方々全てに謝罪して回った。

それからアパートの管理会社。
こちらは比較的…よくあると言っては何だが、"儘あること"らしく、未払いの家賃を納めて、荷物を処分する期日を相談し決めた。

引越し扱いにするつもりは毛頭なかったので、母と弟に頼み込み、1ヶ月ほど毎週末荷物の選別や運び出しを手伝って貰った。
これから必要そうなものだけを車に積み込み、片道約300kmの道のりを毎週末行き来してくれた2人には本当に感謝してもし切れない。

そこからはもう文字通り棄てる物だけを残し、処分業者に引き継いだ。
結婚生活の名残があるものなど何もいらなかった。

業者が入った後
残が無いかの最終点検と電気や水道等諸々の契約終了を確認し、処分費用のみを立て替えて実家に戻った。
(後に人件費や交通費と共に請求した)

子供たちは大層ショックを受けてい…るかと思いきや、意外とそうでもなくて。
水を得た魚のように、とても元気になっていた。
それで肩の力が完全に抜けた私は、2日ほど寝込んだ。

回復してすぐ
今度は離婚に向けて、弁護士に相談に行った。
本心は裁判も辞さない覚悟はあったのだが、弁護士が「先に調停をして埒が明かなかった場合にした方がいい」とアドバイスをくれたのだ。
確かに、心身財産共に尽きてしまっては未来は無い。

無事冷静になれた私は、法テラス弁護士指導の元、必要な書類作成に心血を注いだ。
この時のことは深くは覚えていないのだが、興奮状態で、疲れているのに眠れなかった事は覚えている。

無事に書類が出来上がり、満を持して裁判所に書類を送り届けたあと、私は再び高熱を出して倒れた。

裁判所から『調停の日が決まった』と、連絡が入った時、私の笑顔はきっと醜く歪んでいたに違いない。
なぜなら、「離婚だけはしないてやって欲しい」と、どこまでも愚息の味方しかしなかった義母含め、旦那一家には一切連絡をせずに離婚話を詰めていたからだ。

だが、来ないかも…とは微塵も思っていなかった。
プライドと外面で出来ている男が来ない訳がないのだ。
そして案の定、旦那は出廷した。

別室調停だったので、話は早かった。
感情を見せず淡々と語る私と、これまた淡々と質問を続ける裁判員の方々。
慰謝料が払えないことは貯金などから明白だったし、それを理由にごねられても困るので、最初から請求はせず。
養育費は、算定表の上限を吹っ掛けて、一旦終了。
私が休憩している間、今度は旦那の側に私の話を持って行って条件などを話し合って貰った。

そして、改めて私の番がやってきた。
案の定、養育費上限は払えないとの回答が返ってきた。
こちらも想定通りの話なので、養育費を少しだけ下げて提案&今後一切慰謝料等は請求しない旨の書面を書いてもいいと付け足した。

我ながら狡い女だとは思ったが、こちらは子供たちのこれからが掛かっているのだ。易々と妥協するわけにはいかない。

2回目の回答。「合意する」との事だった。
思った以上にスムーズに、そして早々と決着が着いた。
厚生年金の分割も要求していたので、少しだけ驚いた。
が、話が素早く纏まったのは幸いだった。
(ま、元より弁護士抜きでは為す術も無かっただろうが)

私は、当日、飛び上がりそうなほど嬉しかったのだ。

もう、会わなくてもいい。
今後、私や子供たちは自由だ。
子供たちの親権は私だから離れなくていい。

その後、子の氏の変更や戸籍の移動などを役所でサクサクと終わらせて終了し、今に至る。

我ながら、よーやった!これだけは褒めてもいいだろう。
こうして、幸せを自ら掴み取ったのだから。


今のところ、養育費は順調に振り込まれている。
なぜなら、滞った場合は会社及び実家に書面で連絡が行く事になっているからだ。
細々とアドバイスを仰いでおいて、本当に良かった。

あと、これは余談だが。
子供たちが無事に成人するまで、私は誰とも入籍はしないと決めている。(その前に相手がいないのが現実w)

1人で余生を謳歌してもいいし、趣味の合うパートナーと共に楽しく過ごしてもいい。

結局、子供たちが幸せならそれで充分なのだ。


さて、長々とした話もそろそろ終いにしよう。
ここまで読んで頂いた方に心から御礼を申し上げると共に、私のようにはならぬよう、幸せになれるまじないをかけておく🍀*゜

最後まで読んでくれて本当にありがとう。
今後も母子で楽しく逞しく生きていくと此処に改めて誓う。



令和4年 5月 終筆
令和5年 3月 投了

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