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「ありのままに生きろ。今」を受けてのありのままの自分の感想

4月26日(金)の夜公演と27日(土)の昼公演を彩の国さいたま芸術劇場 小ホールにて鑑賞しました。ストーリーのネタバレを含むので、未見の方はご注意ください。

鑑賞の動機な主なものとしては、私の推しの元所属アイドルグループ・22/7のメンバーである相川奈央さんが舞台に初挑戦するということで、「はたして、どんなお芝居を見せてくれるのだろうか?」という興味からでした。


推しが2021年1月に初舞台を踏んで以来、推しが出演していない作品(共演者やお世話になった団体の公演)も含めて舞台鑑賞というものがすっかり自分の日常の中に根付き、2023年は朗読劇を含めて、全部でどうやら46作品72公演観たようですが、そんな自分の率直な感想を個人的備忘録としてここに吐き出して残していきたいと思います。



事前に公開されていたあらすじを漠然と触れた限り、なんとなく自分好みのジャンルとテーマ性の作品(小劇場系のストレートな現代劇)だなということは分かり、期待値は高めでした。ただ、それ以上の情報は敢えて触れず、各キャラクターの設定や背景、キャラクター同士の関係性についても全く予習せずということで初回は観に行きました。


結論から言ってしまえば、自分好みの作品ではありませんでした。

求めて期待していた内容のものではなかったのです。厳密に言うと、食材は自分好みのものでしたが、調理方法がそうではないタイプでした。


舞台を何本も観ていくと「自分の好みの作品はどういう作品なのか?」とか「面白いと思える作品の共通点はどこにあるのか?」といったことについて常々考えてしまうのですが、「作家性とエンタメ性のバランスが取れている」ことと「一回観ただけで伝わる面白さがある」ことなのではないかなという結論に私は辿り着きました。


まず、前者の作家性とエンタメ性のバランスについて説明すると、作家性の主張が強過ぎると「尖った取っつきにくい作品」になりがちです。所謂「人を選ぶ作品」と呼んで良いかもしれません。

逆にエンタメ性が強くなると、「分かりやすくて話に入りやすいけれども、どこかで見たような陳腐な作品」だったり、「説得力の無い、御都合主義的な浅い作品」になる傾向があります。


今作はどちらかという前者の作家性に比重が乗っているなと感じました。勿論、舞台に限らず全ての創作は作家の伝えたい主張が最重要視されるべきだとは思っていますし、この作品の作りを否定しているわけではありません。単純に自分好みの味付けではなかった、というだけの話であり、今はそれを説明しているに過ぎません。


なぜ、作家性に偏っていると感じたかの理由についてですが、一言で言えば、「観終わった後にカタルシスが無かった」というところに尽きます。

通常、物語の終盤に明確な山場があり、そこにおける問題が然るべき手順で解決されることで、心が揺さぶられ、感動し、泣いたり笑ったりがあって、観終わった後に「うわぁ〜!良かった!面白かった!」となるのですが、今作は主人公を始めとしたキャラクターの抱える問題が明確に解決されることなく、物語は終わりを迎えます。

キャラクターが抱える問題や状況に関しては、自分の人生経験ともオーバーラップし、ある程度理解は出来たのですが、作品の構造と演出上、なかなか観ていて感情移入しづらい作りになっているなと思いました。この辺りは2周目を観るにあたり、ある程度キャラクターについての概略を頭に入れたところ、腑に落ちた部分も多々ありました。


「感情移入しづらい問題」については、先程「自分好みの面白い作品」の共通点として二番目に挙げた「一回観ただけで伝わる面白さがある」というところに密接に関わってくるので、この作品の分かりづらさについて自分なりに整理してみると、

・フォーカスされる5人のキャラクターの物語の時系列がバラバラ
・登場キャラクターは5つの物語のうち複数に出演し、それぞれ別のキャラクターと絡むので人物相関図が複雑
・出演者が一部モブ役も兼ねていることで、同一人物の話なのかどうかの判断がしにくい

この辺りかなと思いました。


今作は主役は永島聖羅さん演じる佐藤しおりというキャラクターですが、群像劇というジャンルです。

群像劇の面白さは「このキャラクターは実は別の物語のあのキャラクターとそういう関係だった」とか、はたまた「同一人物だった」といった事実が明かされていくことにあり、それこそが物語上のカタルシスを生むと私は考えているのですが、その描き方が分かりにくいことは、作品の面白さが伝わらないことに直結してくる致命的問題です。


物語の終盤、主人公・佐藤しおりが交通事故に遭い、病院に入院するのですが、なぜ内定も出していない選考中の企業の面接官に過ぎない工藤薫がわざわざお見舞いに来たのか、三崎萌が何故彼に連絡したのか、経緯や理由が釈然としないし、リアリティに欠けるなと思いました。そのまま話が進み、物語は一番の山場を迎えてしまうため、観ていて気持ちが乗らないまま話は終わってしまうのです。


人間の集中力は長くは続かないものですが、2時間という長丁場観ていて眠くならない話というのは、「続きが気になる展開」を提示し続けることにあるのではないでしょうか。

この作品は作り手の気概は感じ取れたものの、「ストーリーがこの先どう転ぶのかというワクワク感」に欠けていたなと感じたのです。そしてそれこそが、今作が私好みの舞台作品ではないなと結論付けた理由です。



最後に私の個人的主張だけ残しておこうと思います。


社会に生きる個人それぞれが「ありのままの自分」で居ようとしたならば、主張と主張がぶつかり合ってしまうため、社会というシステムは維持出来ません。この世界でそこから恩恵を受けて暮らしている以上、各々が必ず妥協点というものを見出し、ある程度己の気持ちに折り合いを付けながら生きていかなくてはなりません。

今回のお話は、それでも社会に抗おうとする未熟な生き様を描いた話なのか、抗えば生きていけないという諦めの話なのか、自分らしさを貫いてもいつかは活路を見出だせるという希望の話なのか、理解力に乏しい私にはイマイチ分かりませんでした。


最初に述べたように、題材や物語のジャンル、テーマ性自体は極めて自分好みの傾向にあるお話です。登場するキャラクターの置かれた状況や考え方が違うキャラクターだったり、演出や見せ方が違ってくれば、自分好みの作品になるであろうポテンシャルを秘めた作品でもあるなと感じています。


今作も何度か再演を重ねていて、内容も演出もアップデートされ続けているのだと思うのですが、また今作に振れる機会があれば、別の感想が生まれるかもしれません。


その出会いとそれによって生まれる知的な刺激を楽しみに、これからも様々な舞台の観劇を続けていきたいなと、改めて思いました。

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