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李克強の死去

 27日未明、李克強が休暇中の上海で心臓病を発症し亡くなったとの報道があった。「李克強同志逝去」という記事の全文は以下のとおりだ。

  新华社北京10月27日电 中国共产党第十七届、十八届、十九届中央政治局常委,国务院原总理李克强同志,近日在上海休息,2023年10月26日因突发心脏病,经全力抢救无效,于10月27日0时10分在上海逝世,享年68岁。(讣告后发)
(新華社北京10月27日電 中国共産党第17期、18期、19期中央政治局常務委員、前国務院総理の李克強同志は、このほど上海で休暇をしていた。2023年10月26日、突然心臓病を発症した。
 全力の救急活動も効果なく、10月27日0時10分、上海で死去した。享年68歳。(訃告は後ほど))

 訃告は後で出されるとのことなので、簡単な内容になっている。

 李克強を含めた総理、全国人大常務委委員長、全国政協主席経験者クラスは、党中央、全国人大常務委員会議、国務院、全国政協名義で訃告が出される。ここ10年だと、李克強以外では万里や喬石がこれに相当する。

 鄧小平や江沢民ら核心クラスは、中央軍事委員会が名義に加わり、「告全党全军全国各族人民书」(全党全軍全国各族人民に告げる書)にパワーアップする。核心にはなれなかったが、胡錦濤もここに入る、と期待したい。

 それ以下、例えば現役の常務委員だった黄菊や、中央紀律検査委書記だった尉健行は訃告は出されず、生平(生涯)として出される。

 格式に差はあるものの、生前のポストや活躍した部門に触れるだけではなく、どのポストの頃にどういった業績をあげたか、どういう分野において活躍したかが書かれるのは同じだ。

 李克強の場合、「杰出的外交家」(傑出した外交家)と書かれれば、習近平時代に総理として行った外交を誉めることになり、そのまま李克強への評価につながる。

 李克強の訃告がすぐに出なかったのは、さすがにすぐには死なないだろうという見込みがあり、用意をしていなかったからだろう。李克強の死が突然だったことがうかがえる。

 とか書いてたら、午後7時の『新闻联播』の放送に合わせて訃告が出てきた。

 放送時間12分14秒。現役時代、習近平以外の常務委員はトピックひとつで3分を超えないよう規定があった。初めて規定を超えた扱いになったのが、自分の死というのはなんとも皮肉だ。


==参考消息==
https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202310/content_6912193.htm
http://www.news.cn/politics/2023-10/27/c_1129943498.htm

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