李克強の死去
27日未明、李克強が休暇中の上海で心臓病を発症し亡くなったとの報道があった。「李克強同志逝去」という記事の全文は以下のとおりだ。
訃告は後で出されるとのことなので、簡単な内容になっている。
李克強を含めた総理、全国人大常務委委員長、全国政協主席経験者クラスは、党中央、全国人大常務委員会議、国務院、全国政協名義で訃告が出される。ここ10年だと、李克強以外では万里や喬石がこれに相当する。
鄧小平や江沢民ら核心クラスは、中央軍事委員会が名義に加わり、「告全党全军全国各族人民书」(全党全軍全国各族人民に告げる書)にパワーアップする。核心にはなれなかったが、胡錦濤もここに入る、と期待したい。
それ以下、例えば現役の常務委員だった黄菊や、中央紀律検査委書記だった尉健行は訃告は出されず、生平(生涯)として出される。
格式に差はあるものの、生前のポストや活躍した部門に触れるだけではなく、どのポストの頃にどういった業績をあげたか、どういう分野において活躍したかが書かれるのは同じだ。
李克強の場合、「杰出的外交家」(傑出した外交家)と書かれれば、習近平時代に総理として行った外交を誉めることになり、そのまま李克強への評価につながる。
李克強の訃告がすぐに出なかったのは、さすがにすぐには死なないだろうという見込みがあり、用意をしていなかったからだろう。李克強の死が突然だったことがうかがえる。
とか書いてたら、午後7時の『新闻联播』の放送に合わせて訃告が出てきた。
放送時間12分14秒。現役時代、習近平以外の常務委員はトピックひとつで3分を超えないよう規定があった。初めて規定を超えた扱いになったのが、自分の死というのはなんとも皮肉だ。
==参考消息==
https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202310/content_6912193.htm
http://www.news.cn/politics/2023-10/27/c_1129943498.htm
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