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習遠平も偉くなっていた

 習遠平をご存じだろうか。

 習近平の弟で、自分より二回り若い嫁をもらっているというけしからん男だ。

 2014年、深圳特区報へ寄稿した父・習仲勲をテーマにした文章の後半で、「2005年,我和张澜澜恋爱了」(2005年。私は張瀾瀾と恋に落ちた)から始まる、気持ち悪い自分語りでその事実が明るみとなった。

 張瀾瀾の現役時代は教養不足で知らないのだが、それなりに顔を知られた芸能人で、2008年の春晩後に突然姿を見せなくなったので当時は騒ぎになったようだ。

 遠平は寄稿文で張瀾瀾が誰かと説明を付け加えていないので、説明が必要なほど無名でもないのかもしれない。深圳特区報の読者層にとってはどうなのかわからないが。

母親と夫婦の記念写真

 有名なのはそこだけで、兄と同じ北京八一小学に在学していたとか、文化大革命の際は母親の斉心と共に河南省に行っていたとかくらい。成人してから何をしていたかはよくわからない。

 唯一公表されている肩書きで、会長を務めていたはずの中国国际节能环保科技协会(中国国際エネルギー・環境保護科学技術協会)は、現在違法な団体認定を受けているし、後継団体に名前はない。

 活動が表立ってきたのは習近平が総書記になってからだ。「革命先辈先烈亲属代表」(革命先駆者・烈士親族代表)という新しい肩書きを提げて。

 とは言っても、習仲勲関連のイベントや、習仲勲にゆかりのある人の葬儀に母親の名代で露出するだけ。そんなイベントは毎日起きるわけではないので、平時は習家の代表として紅二代とお付き合いしているのかもしれない。

 2018年10月の会合で、それまで遠平は「发言」(発言)だったのが、「讲话」(講話)に変わった。公式に発言と講話がどう違うのか設定はないが、会議の主催側が行うのは講話で出席者の報告は発言なので、発言者の立ち位置によって変わるようだ。

 上記の会合での序列は省委書記、省長の次なので、この時点で閣僚級かその一つ下の正庁級の扱いを受けるようになったと考えられる。

 5月4日、榆林学院の開設100周年記念式典が盛大に開催された。かつて習仲勲が「革命英才のゆりかご」と称し、今回の100周年に際し、母の斉心が「百年芳华 英才辈出」と祝辞を送っている。

 同学院は陝西省委書記を8人輩出しているので、革命英才のゆりかごではなく、陝西省委書記のゆりかごの間違いではないかと思う。

 出席した遠平も講話を行い、趙一徳陝西省委書記や趙剛省長らと学院の状況について校長の報告を受けている。気になったのはこの写真だ。向かって右が省委書記、左が省長だ。

省委書記、省長を両脇に従え

 例えば党大会でも総書記経験者は現役総書記の次に置かれるし、席次も現役の左右となる。

 陝西省のトップは言うまでもなく書記、次が副書記を兼任する省長なので、遠平はもしかして彼ら以上の待遇になっているのかもしれない。序列にはうるさい国なので、冗談でこういう写真は撮らせないはずなのだ。

 彭麗媛も嫁というだけで常務委員より上位に序列されているが、これで娘が出てきたら同じように謎の高序列になるのだろうか。

==参考消息==
https://www.yulinu.edu.cn/info/1010/14086.htm
https://www.jfdaily.com/wx/detail.do?id=1990
習近平弟と若い嫁の件(2014年10月18日)
http://www.gov.cn/xinwen/2016-07/20/content_5093087.htm
http://sl.china.com.cn/2018/1015/48854.shtml
http://www.gov.cn/xinwen/2016-07/20/content_5093087.htm

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