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アンダーザスカイ(tumbling down)

「Welcome」
と書かれた玄関マット。趣味では無いが知人よりの賜り物なので致し方なく靴の泥落とし用として玄関ポーチに設置されているもの。
常に足蹴にして泥をこすり付けてはいるものの、偶に気が向けば水やりのついでにホースを向けて汚れを洗い流すくらいはやる。
Uターン通勤から帰って(帰って?)玄関マットがチラと視界に入る。そろそろ洗うか、そのうちな。

カラスが煩く鳴き出した。天気が崩れるのか。見上げるとどんよりした雲が駆け足で登場した。
足元でホコリがクルクルと渦を巻きふわりと宙で消える。
冷めたい空気がねっとりと頬にまとわりつく。
ざん!と合図一つ、梢が一斉に右向け右、
筑波颪だ。
枯葉も砂も何もかも一緒くたに空へ飛んで行った。

「·····やれやれ」
風が落ち着き服のホコリを払いつつ、庭やベランダに出してるものが強奪されぬよう、急いでしまい込まなければならない。
あたふたとスリッパやホースをしまい込み、ガーデンセットを固定して被害が及ばぬよう対処する。
作業を終えて一息つく為に室内へ入る。暖かいコーヒーでも入れて、業務開始といきますか。
メールチェック、リプライ、電話連絡、社員とのLINE通話、なぜか雑務が立て込み本来の業務に取り掛かれずにいた。
日がささずどんよりしてるせいで昼を回っていることに気が付かなかった。
今日は一日この調子か、と窓の外を見る。
朝から風が強く、庭の木が体を大きく揺すって屈伸でもしてるかのようだ。

「しまった、忘れてた!」
外の玄関マット、あの『Welcome』のヤツ、あれをしまうのを忘れていた。下手したらもう、風にさらわれたのでは無いか。
慌てて玄関ポーチに飛び出る、マットの端がペラペラとめくれ上がってるが無事な姿に安堵する。
手を伸ばし捕まんとするが一歩遅く、ふわりと浮いて3センチ移動した。もう一度、と掴む手にはなんの感触も無く、見ればまたふわり、と5センチ移動する。
手がダメなら足で捉える。ダン、と踏んずけて確保せんとするもそこには何も無く、海底のエイのように玄関マットがふわりふわりと水平移動している。
「手強いな」
一陣の風が吹き付け、気づけば家の敷地を出て通りまでマットを追い掛けて来てしまった。
「おや、あなたもですか。」
見れば隣家のご主人も草履履きのまま、緑の人工芝のようなマットを追っかけている。
「無くすと家内にドヤされるんでね」と幅広の前頭部をぺちんと叩く。
一瞬気を抜くと寒風が更に玄関マットを吹き上げていく。
あちらの家こちらの家、近隣の家々から次々と、玄関マットを追いかける人々が飛び出してきた。

「捕まえた?!」
「くそ!待て!」
「きゃー!行かないで!」
怒号や悲鳴が飛び交い一気に騒がしくなった町内の坂道を、何十枚もの玄関マットがふわりひらりと登っていく。その後を腰をかがめ尻を突き出し不格好に追いかけていく老若男女。
「なんだ…これは一体…」
我に返り周りを見渡して笑いを堪える。誰一人として自宅の玄関マットを捕まえられない。逃げるはずのないものを皆必死の形相で追いかけているのだ。笑わずに居られるものか。
声が出そうになり咄嗟に口を押さえる。と、
ドゴン!と強風が叩きつけてきた。強い風が突然吹き付けると衝撃で重い音がする。ヒューでもザーでも無く、ゴゴーである。
どうでもいいことを考えていると玄関マットが視界から消えてしまった。「参ったな」立ち止まって当たりを見回す。幸運にも電信柱に引っかかってはためいている「Welcome」を見つけた。
「しめた!ラッキー!」
悠々と電柱に近づいた。が。
ドゴン!コゴー!とまたしても強風が吹き荒れる。スカートはめくれカツラは飛び、いっそう高い悲鳴が上がった。続くおお!とも、ええ!ともつかぬ叫び声、ふわりひらりと逃げ回っていた玄関マットが一斉に空へ飛び立っていった。
「逃すか」
今にも飛び立ちそうな「Welcome」の端をギュッと握りしめた。突風に煽られ舞い上がるwelcomeに身体ごと持っていかれそうになる。重心を落としぶら下がるように踏ん張ってみたが、ドドンと強風に持ち上げられてwelcomeごと空へと吹き飛ばされてしまった。
「高い、いや、ものは考えよう。地面は遠くとも大気圏には近づいている、地面に落ちるのでは無い、私は空へ落ちるのだ。」
受け入れ難い状況になろうとも屈服するつもりは無い。高所は恐怖ではない。恐怖の原因はひとつしかないが、恐怖以外のものなら無限にあるではないか。
とりあえずマットの操縦を試すことにした。
くいっ、と右を引く。
「おぉっと」
加減が必要だ。左に軽く2回引いて方角を調整する。あろるの館から離れぬよう、旋回する半径を少しづつちぢめたいというのは理想だが、上手くいくだろうか。
「おじさーん!!!」
「おや、ススム、こんな所まで飛ばされてきたのか」
ススムは奇妙な縞柄のランドセルから飛び出た落下傘に吊るされて泳ぐようにやってきた。
「カメアリ、どっち?」
「あっちだ」と東京の方を指さす。
「わかった、またね!」と離れて行った。
あたりは近隣住民をぶら下げた無数のマットが飛び交い騒然としている。赤やみどり、花柄や動物柄、色とりどりの玄関マットの、さながら展示会か博覧会のようだ。
これは……私一人ではどうにも収拾がつかない。さて、どうしたものか。
突如夜が訪れた、かのように暗くなる。巨大なハシビロコウが上空に現れたのだ。彼(彼女)は大きな翼で風を遮り、羽ばたきでマットを誘導した。花畑のごとき玄関マットたちは上手い具合に滑空してゆき、家々の玄関先に着地していく。
飛ぶマットあれば着地させるハシビロコウあり、だ。私も彼女(彼)の誘導に従い、あろるの館へと帰還した。
庭へ降り立つハシビロコウは、フルフルと頭を振り深深とお辞儀をする。
「いやいや、助けられた私こそ、お礼を申し上げます。ありがとう存じます」
ハシビロコウは「カッカッカッ」と笑うように嘴を鳴らした。そして私をじっと見つめる。どうやら笑ったわけでは無さそうだ。食べるつもりではないよな?と一瞬肝が冷える。再び小刻みに頭を降ると大きなツバサを拡げて羽ばたいた。突風が巻き起こり玄関マットが舞いあがる。
「おい、待て!」
私は玄関マットを追うために、飛び上がる寸前のハシビロコウの尾羽根をぎゅっと掴んだ。

いつか、お望み通りの「着地」があることを切に願います。お誕生日おめでとうごさいます。
2024.0401
2024.0402

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