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高校受験、そして中学校も塾も卒業

いよいよ2月になり、私立高校の受験から始まった。
最初は、私立高校の普通科。
国語・数学・英語の3教科に合わせて、集団面接。
同じ中学から、ちょっとヤンキーっぽい男の子と一緒のグループで面接だった。
「おまえ、面接の時さ、ペラペラとよく喋れてたな。
 将来、保育園の先生になりたいのかよ?!
 おまえ、ガキの扱いがうまいから良いんじゃね?!」

って帰り道に、貶されてるんだか、褒められてるんだかわからないが、捲し立てるように言われた。

翌日、もう1つの私立高校(女子校)の英語科の受験。
ここは同じクラスの仲良くしてくれる女の子と一緒。
ただ、彼女は普通科の受験だったので、試験前後にしか会えなかった。
こちらは3教科の筆記試験のみで、2人とも手応えはバッチリだった。

幸い、私立高校は2校とも合格し、塾にも報告した。
なぜか2月は1回も海空先生に会えずにいた。
他の講師に聞いても、海空先生は忙しくて1か月間休みの予定としか教えてもらえなかった。
1番に報告したかったけど、本命の公立高校の結果が出るまでは我慢した。

2月末、本命の公立高校の受験。
ヤンキーっぽいあの男の子も一緒に受験。
他にも同じ学校から女の子2人も受験していた。
【絶対にココに入学してやる】と言う気持ちで頑張った。
試験が終わって、4人で一緒に帰ることとなり、お互いに成果報告をした。
私は、思っていたより出来ていたと安心したものの、
「合格発表までドキドキで怖いね~」なんて話した。
そして3月の合格発表を4人一緒に見に行って、全員合格していた。
無事に第1志望の高校へ入学できる喜びに満ち溢れていた。

その日の夕方、塾に報告に行かないといけないことになっていた。
海空先生に会えることを期待しながら向かった。
しかし、海空先生に会うことはできなかった。
以前、私と一緒にご褒美をねだった生徒と一緒になり、
「海空先生さ、ご褒美の準備がイヤで来てないらしいよ」
なんて言われた。
中学3年は、この合否報告を最後にこの塾を卒業となる。
高校生になったら、系列の予備校へ行くシステムになっていた。
しかし私の親は、塾は義務教育までというスタンスだったので、塾との縁が切れたことになる。
この日に会えなければ、もう一生、海空先生に会えないという状態だった。
常勤講師にダメ元で確認してみた。
「海空先生には大変お世話になったので、
 直接、合格の報告をしたいのですが、
 いつ、海空先生は出勤しますか?」
「春季講習になったら来るって言ってたはずだから、
 3月末だったら会えると思うよ。
 これはナイショだけど…
 大学院入学で4月前半は休みの希望が出てたから、
絶対に3月末においで!」
「3月末ですね。必ず来ます!」

と、宣言(?)しつつ常勤講師にお礼をして帰宅した。

これは1993年3月のエピソード。
しかし3月末に私が体調を崩して、塾に会いに行くことはできませんでした。
私、先天性心疾患があり、発熱すると点滴治療してもらわないといけない身体なのです。(今でも38.5度以上は点滴してもらっています)
受験や中学卒業で一気に疲労が出たようで、1週間ほど昼間は平熱なのに、夕方になると高熱を繰り返していました。
ギリギリ入院にはなりませんでしたが、毎日点滴のために通院していました。

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