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ダブルフェイス?

シャワーを浴びて、ホテルを出た。
なんか、心がむず痒いような不思議な感覚だった。
車の中で、高校のことを話したり、大学院での研究のことを聞いたりした。
薄暗くなってきていたからか、信号で止まる度にキスをした。
周囲のことなんて一切気にならなかった。
ホテルへ行く前は、あんなに恥ずかしくて仕方なかったのに・・・

今回は、カーステレオからは1993年4月に発売されたばかりの平松愛理さんのアルバム“Single is Best”が流れていた。
私は、平松愛理さんの声の高さがピッタリで、よく歌っていた。
有名な“部屋とYシャツと私”は、オハコだった。
今、思えばこの曲がオハコの15歳って、ちょっとね・・・

家の近くまで送ってもらった。
「高校、頑張れよ」
「ウン、先生も大学院、頑張ってね!」
「またな」
「ウン、またね」

と別れた。

実は、この頃くらいから私は高校の授業が分からなくなっていた。
入学して1ヵ月で、勉強のやり方が分からないという方が正しかった。
一体、今までどうやって勉強してきたのか不安になってしまうほど。
親には系列の予備校に行きたいと伝えたが、『必要ない』と言われて、通わせてもらえなかった。

GW明け、ダメもとで中学まで通っていた塾で、海空先生にアドバイスをもらおうと思い行ってみた。
常勤講師には、
「親に言って、予備校に行かせてもらえよ!
 やっぱりランクを落とした高校に行けばよかったじゃないのか?!」

と鼻で笑われた。
海空先生も冷たい態度で、
「高校生になったんだから、こっちじゃなくて予備校に行きなさい」
と言われた。
渋々、帰ろうとしたところで海空先生から耳もとで囁かれた。
「来週土曜日の15:30、駅のところのファーストフードにおいで」
私は無言で頷いた。
海空先生は笑顔で、いつものように私の頭をポンポンしてくれた。
塾の中だから仕方はないが、海空先生の2つの顔には驚かされた。

これは1993年4月25日から5月の連休明け頃のエピソード。
今のようにスマホがあるわけではなく、連絡を取るには家の固定電話が主流。
私たちは、私の親にバレないように行動するのが大変でした。

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