見出し画像

メンタル崩壊

あの日、次に会う約束をしないままバイバイした。
私の気持ちが落ち着いたら、手紙を欲しいと言われた。
(連絡手段がこれしか無かったからね)
でも約1か月の間、手紙を書く気にはなれなかった。
走馬灯のように、今までの思い出が流れていく。
夜も眠れない状態が続き、授業中に意識を失ってしまうほど睡魔と闘った。
昼間は眠くなるのに、夜は眠れないなんて、まるで昼夜逆転のようだった。

梅雨でジメジメした日が続いた後、久しぶりに晴天で暑かった日が、小児総合病院の眼科の予約日だった。
全身麻酔で手術をして欲しいと伝えたところ、夏休みは無理だけど10月なら、と言われた。
案の定、親は夏休みに手術が出来ないことについて難色を示したが、渋々納得してくれた。

気がつけば期末テストも終わり、夏休みに入っていた。
海空先生に教えてもらっていた数学は、平均点の少し上くらいの点数を取れた。
7月末に梅雨明け宣言をされたものの、雨が続いていた。
(確か後日、梅雨明け宣言を撤回された年でもあった)
バイトをするわけでもなく、心の隙間を埋めるために、“伝言ダイヤル”で遊び始めた。
あの頃も高校生と言うだけで価値が高かったらしく、
『15歳なら、○○円でホテルにどう?』
というメッセージがたくさん入っていた。
いつも
「✕✕駅に●時に待ち合わせね~」
なんて返事をして、遊んでいた。
でも、いつも心の奥底では
【私の身体は海空先生だけのモノ!】
なんて思っていたから、大バカとしか言いようがない。

8月に入り、小児総合病院の眼科から、他の患者さんの手術のキャンセルが出たので、体調はどうですか?と連絡があった。
親は、もちろん飛び付いて入院予定の1週間前に、術前診察・検査の予約を入れた。
念のため循環器科も診察してくださるとのことで、1日がかりで受診となった。
幸い、心臓は全身麻酔も問題ないとのことで、スムーズに手術に向けての準備が始まった。

やっと、ここで海空先生に連絡する気になって手紙を書いた。


海空先生へ
お元気ですか?
私はいまだに心の整理が出来ないまま過ごしています。
そんななか、手術が決まりました。
外斜視の手術をする前に、心臓の手術も必要になり、8月19日に小児総合病院に入院し、20日に手術を受けることになりました。
入院前に、胸に傷がない状態の私をもう1度見てもらいたかったのですが、無理ですね。
海空先生の腕の中で、幸せを感じていたかった。
海空先生にもっと抱きしめてもらいたかった。
海空先生にもっともっとキスしてもらいたかった。
海空先生に病院に来て欲しいよ。
                    稀琳


外斜視の手術なのに、心臓の手術と言えば、心配して会いに来てくれると思い込んでいた私。
だから手紙に心臓の手術を受けることになったと書いた。

これは1993年6月~8月初旬のエピソード。
完全にメンタル崩壊していました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?