葬送のフリーレンをすごく心地よく観れるのはなぜか


「葬送のフリーレン」。大好きだ。

アニメを楽しみにしすぎて
シーズン1をもう3周は観た。
何度も何度も観ているから
浮き上がってくる良さがあって。


序盤から
強く一貫している概念が
痺れるなぁ〜と思ったので
記録しておきたい。

「魔族」を「悪」とすること。
これが痺れる。
暴力とか、正義とか、そういうレベルでは
ない。勧善懲悪の息苦しさみたいなものが
ない。


魔族は
「人間と見た目そっくり」
「言葉を話すがそれは人間を欺くための手段」
…これ、怖くないですか?

人と見た目そっくりで人の言葉しゃべれば
我々現実世界では、
それはもう「人間」じゃん?
いるじゃん?そういう人間…
そういう「言葉通じにくい相手」とも
我々人間ってつい、分かり合えると期待して
そういう「言葉は欺く手段な相手」とも
なんとか折り合おうとしたり

ところが、フリーレンはこれを
「魔族との対話は無駄」
「人の声マネをするだけの
言葉の通じない猛獣」とバッサリ。
さらに、
人生をかけて魔族を欺くため
研鑽を積み魔力を制限してみせている。
さらに、師匠フランメとの会話
「魔物が言葉で人間を欺くなら
こっちはそれ以上に狡くなればいい」と。

…私、昔から
「相手のレベルに落ちたら、
自分も同レベル」
みたいな思想、だいきらいなんですよね。
だから、
これにはスカーーーーッとしました。
「相手がずるいなら、
こっちがそれ以上にずるくなればいい」
勇者一行とは思えない狡猾さ。
これが良しとされている大人な概念。
しびれる。

「言葉」で「分かりあう気がない」
「人間」を「欺くために言葉を使う」
それをこの世界の「悪」と括る。

この作者の「善悪の感覚」が好きだな。

エルフ、ドワーフ、人間、魔法使い、魔物、
いろんな種族が登場するけど
見た目や、肌の色、身体的特徴で
敵味方に分けるのではなく
見た目ではまったく区別がつかない内面で
善悪を括る。
最高。

フリーレンは魔族に故郷の村を
皆殺しにされた。


あまり意識していなかったけど
物語を何度もみてると
アイゼンも故郷のドワーフの村を
「魔族に襲われてな」と墓に手を合わせる。
シュタルクが登場するより前の話で。

こうなってくると
「同じ村の孤児院」出身の
ハイターとヒンメルも
もしかしたら「魔族」に村壊滅された?
あやしくね?って感じである。

とにかく、魔族に対する嫌悪がヤバい。
魔族絶許のフリーレンと
情けを捨てられないヒンメルの
対決エピソードを通じて
読者の「いうて魔族も子供ならまだ
分かり合える余地あるんじゃ…」という
希望も完全にシャットアウトしてくる。

そうじゃよ…これは人生を何十年も続けて
やっと気付くことじゃが
「人語を使って人間を欺く騙すヤツらとは
絶対的にわかりあえない」
んじゃよ…かなしい幻想なんじゃよね…
フリーレンは人生で大切なことを
教えてくれる。沁みる。

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