他人の幸せを喜べるかどうかって、心の中の何がちがうんだろうね

例えば
隣の家の人が
「宝くじが当たったから
家を新築で建て直してピカピカになった」
ってことがあったとしてだね。

それを喜べるタイプの人と、
どうしても喜べないタイプの人が、
いるじゃん?

わたしは喜べるタイプの人。
すげ〜喜んじゃう。単純に。

喜べないタイプの人は
喜べるタイプの人の思考回路がサッパリ
理解できない、ということは
今までの人生経験上なんとなくわかる。

喜べないタイプの人が…
周りにも居るよねー。うん、居るよね。
あのひとはぜったい喜ばないなな人(笑)

喜べないタイプの人は、さ。
喜べるタイプの人の喜びをさ、
わりとガチで「嘘だ」と思ってるじゃん?
心の底の底の底の底の底では、
ぜってえ羨ましい憎らしいのにさ、
それを誤魔化して喜んでるフリしてるって
わりと本気で思ってるじゃん、たぶん。

そーじゃねーのよ。
わりとガチで、嬉しい。

隣の人が宝くじ当たった!?
(さぞや嬉しかったろうなという想像で
その心情に共感を寄せ過ぎて幸福感あり)
(家の中は狂喜乱舞だったかなぁという想像で
勝手に踊ってる所とか想像して幸福感あり)
(もしかしたら、お金にこまる場面があったかも
しれなくてそれが助かった可能性を想像して
その幸福感を想像上で共感して幸福感あり)
↑羨ましいとか嫉ましいがあったとしても、
この「幸福感の追体験フィーリング」のほうが
あっっっというてきにデカイ!
…たぶん、ココが決定的な違いだろ。


しかも家が新築建て直しピカピカ!?
隣の家がピカピカなんていかにも運の良い!
すぐ近くのウチにまで御利益ありそう!
…まである。もはや。
幸運なひとが近くにいると、
自分にも回って来そうと思う。
これもたぶん、違いだろな…
逆なタイプのひとはさー
「自分の分とられた」ような気になる
んだろうな。
他人の幸せを聞いただけで
イライラのほうがデカいんだろうな…
でも、まあ
じゃあなんで、身近な他人の幸せを
「自分にも回って来そう」と思うのか
理論的に説明しろとか言われても
できないし。
なんか、身近にキラキラした幸運なひとが
いたら自分にもキラキラが派生しそう
とかいうぼんやりした感覚でしかないし。

でもさ、
上みたいな思考でさ、
正直リアルガチに嬉しい。
嘘だと思われても、
どう説明もむずかしい、
ただ単純に嬉しい。
良いことがあった人に瞬時に自分を
投影しているというか、
ドラマの主人公にバカ感情移入して
観ている感覚に近い。
その人が感じたであろう「幸福感」を
追体験しているのだと思う。

だから、「本当は羨ましいでしょ?」
「ほんの少しも羨ましくない?」とか
聞かれると、まあ、そりゃ羨ましいよ。
でもね、「こっちまで幸せ」が
圧倒的にデカいのよ。

他人の幸せを喜べるタイプの人は
同じタイプの人といっしょに居たいじゃん?
喜べないタイプの人は
いっしょに悪口言ってくれるカマトトぶらない
友達のほうがきっと気が楽でいいじゃん?

だから、
少なくとも
喜べないタイプの人は
喜べるタイプの人の陣地に
羨ましいくせに?本心?とか言って
ねじ込んでこないで欲しい。
棲み分けよーぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?