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ボクと踊りませんか?(掌編小説)

 シャンパンゴールドの、眩しい、樹々のカーテンの中に隠れていた私は、手を差し出してきた相手が、この国の王子であることは理解していた。
 でも何故私なんかに?
「もう一度だけ言います。ボクと踊りませんか?」
 光の粒を放つような、きらきらのプラチナホワイトヘアを、さらりと風になびかせ、珍しい真紅の瞳をした王子が、黒の夜会用のスーツを品よく着こなし、優雅に私の手をすくい上げる。

王子


「ボクは欲しいものは、必ず手に入れるので…あなたの美徳もその一つです」
 王子はそう言って、私を椅子から立ち上がらせて、男性にしてはやや線の細い、華奢な胸元に私をすっぽり収める。私は顔が、かあああっと熱くなるのを感じた。
 王子は、私の耳元でささやく。
「あなたの、その謙虚さです。ボクがここに姿を現してから、沢山のご令嬢が寄って来られた。ああ、自分の存在はこうにも女性を惹きつけて止まないのかと思ったとき、ふと隅の椅子に座られていたあなたが、そそっと逃げるように会場から外へ出て行かれた。ボクは、去りゆくあなたの背中を追いました」
 私は、小さく頷きながら話を聴いていたが、なにやら腹立たしくもあり、この自惚うぬぼれ王子の手を振り払った。王子は、口の中で、えっ?と、呟き私を睨む。
 王子は、私の行動が理解できないようで、長く細い睫毛まつげを伏せ、じっと私を凝視してくる。
 私は淑女が目上の人に対する礼儀で、ドレスの裾をつまみ、腰を折る。
「失礼ながら、殿下。私は謙虚ではありません。この場から早く失礼したく、出口に向かったのです」
 私は、ため息を吐きながら首を振る。
「そ、それではなぜ今夜の夜会に来たのですか?この夜会は、ボクの花嫁を決めるための夜会です。それを知って…なぜ?」
 王子は戸惑いを見せながら、口の中でうなる。
「父の命令でした。私の家は侯爵家。それなりの身分と財はあります。それでも、一応、挨拶がてら、王子に謁見して来いと言われましたので、参上致しました」
 王子は、暫く、大理石の床に頭をもたげ、やがて、噂の王妃、つまり母親譲りの美貌の満面の笑みを浮かべて言います。

ご挨拶


「決めた。ボクの花嫁はあなただ。ボクの欠点を諭し、身分の差を遠慮せず、ズカズカした物言い…うん。ボクは、あなたと結婚しよう」
 時が止まりました。
 は?
 王子は、今、なんて言った?
 冗談じゃない。
 王室に入ったら、私の自由が奪われる。早朝の、瑞々しい露草の香る、空気の中での散歩も、林檎をかじりながら、思いっきりむさぼるような読書の時間も、同じ階級の友人とのお茶の時間も、全てゼロになる。
 こんな、自惚うぬぼれ屋の傲慢ごうまん王子の花嫁になるくらいなら、修道院に入ったほうがマシだ。
 それに、わたしには容姿にコンプレックスがある。

ボクと踊りませんか


 この、カラスのような黒髪だ。私の容姿を簡単に説明すると、屋内で読書三昧しているせいか、顔色は悪く、やや病的な白肌、色素の薄い唇。
とにかく、美貌の王子には、とても釣り合わない容姿だ。
 今でこそ、王子と二人だけなので、ひるむことはないが、これが、王室に入って、王族の方々に囲まれる生活、耐えられない!
「…とても光栄なことですが、辞退させて頂きます。私は殿下に好意を持っておりません。私より素敵なご令嬢は沢山います。その方の中から、殿下の運命の方を見つけ下さいませ」


踊りましょう


私は、殿下の真紅の瞳を見据え、きっぱりと言いきった。すると、殿下が、唇を噛み、
「…あなたは…ボクがお嫌いなんですね…」
「は、は…い…?」
「それならば、ボクはあなたに好きになって頂くように努力します」
 面倒くさい。美貌訳あり王子にここまで執着され、途方に暮れた。
黒曜石こくようせきのなめらかな輝きの、その髪の毛一本、一本が愛しいのです。そして、どこか愁いをおびた眼差し。母親のように、ボクの欠点を諭して下さる…あなたこそ、ボクの運命の人です」
「……」
 私の頭の中で、早朝の景色と、あまい林檎と、積読してある本の山、大好きな女友達が、浮かんでは消える。
いやいや、私は出来るだけ自由の身で居たい。誰が、喜んで、王室の堅苦しい生活の、犠牲にはなりたくない。
「あ…の…殿下…」
 俯く王子の顔を覗き込むと、透明な涙をポタポタ流していた。なっ…なんで泣くの?
「…あなたはご存知無いかもしれませんが、ボクは第二王子です。王太子は兄上です」
 え?
「ボクは…王子であることから、本音で人と会話したことが無いんです。王子はこうあるべきだと、散々叩き込まれ、本音で話せる友人もいません。読む書物も、全て決めつけられ、宮殿の庭を自由に散歩することも出来ない。ボクのするべきことは、全て公務であり、私情を挟んだことは何一つ…。王はボクに花嫁をあつらえ、結婚したら城を出ろと。この夜会は、ボクが初めてボクの意思で開き、花嫁を選ぶという、王子として最初で最後の選択なのです」
 わたしは震える王子の腕を掴み、
「あなたを解放してあげます。自由に飛び立って…自分の羽で、この広い世界を見て」

解放してあげます

 私はこの哀れな王子に向かい早口で告げると、
「私は、この夜会が殿下の花嫁選びの会とは存じ上げませんでした。先程も申しましたが、父の命令で参りました」
 私は、王子の手を取り、
「お可哀想な殿下。その孤独なお心、お察しします。私が、殿下をご案内します。堅苦しい王室ではなく、私どもの暮らす、世間へ。今は、丁度、夏真っ盛り。夜会の煌びやかな催しよりも、皆が何物にも束縛されず、自由に笑い合える世界へ。花火大会や、蛍探し、庶民でしか出来ない風物詩を楽しんで下さい」
 王子は一層涙を流し、うんうんと素直に頷く。
「ありがとう、やはりボクの目に、狂いはなかった。今すぐ、あなたをボクの花嫁であると公表したいけど、あなたは望まないだろうから、最後に言います。ボクと踊りませんか?」
 私は、ポカンと口を開き、やがてくすくす笑い出してしまった。
「…はい。喜んで、グウェンドレン王子」
名前…知っていたのですか?とばかりに驚く王子に、私はゆっくり頷く。
「一国の王家の名前を覚えるのは私達貴族の約目です…けれど、あなたは私の名前はご存知無いでしょう?」
 王子は頭をもたげ、うなだれる。
「マリアンヌ。マリアンヌ・ド・コンスタンスといいます。どうぞ、お見知りおきを」
「…マリアンヌ。愛らしい響きですね」
 王子がようやく顔を上げると、にっこり微笑んだ。
「では、行きましょう。皆にボクの花嫁を紹介しなくては、?どうしました?」
「私はまだ正式な婚姻をするつもりではありません。ただ、殿下をこの鳥籠から解放したいだけ」
 私は、キュッと口を結び、忠告する。
「それで構いませんよ。ただ、一応筋は通しておかないと、ね」

さあ、踊りましょう

 王子は、仮面婚約を結ぶ気だ。私は、ただ利用されるだけ。でも、それのどこが悪いの?別に構わない。彼が今まで強いられてきた束縛から解放できるのなら、愛がなくても良い。お節介なヒロインだって良いじゃないの。私は腹をくくって、差し伸べられた手のひらに自分の手を重ねた。
「ボクと踊りませんか?マリアンヌ」
 晴れ晴れとした笑顔で、王子が誘う。私は、すっかり根負けして、王子の手を、ギュッと握り返した。仕方ない。王子が、自立するまで、見守ろう。もしかしたら、愛が芽生えるとも限らないし。



発案、文   水恋*

イラスト   美玖




 

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