アフリカ生まれ、鈴木民民の冒険【第四話】

【第四話】

 翌朝、僕とサフラが保護された孤児院へ向かった。
 ホテルから徒歩十分程で到着した施設は、一階建ての古びた長方形の建物で、小さめの窓にはガラスの代わりに鉄格子が埋め込まれていた。今は小学校として使われているのだと父が教えてくれた。
 休みなのか課外授業なのか、教室には誰もいなかった。父が僕がいた部屋を教えてくれた。鉄格子の隙間から中を覗くと、古びた机が雑に並んでいる薄暗い教室だった。かつて孤児院だった面影は残っていなかったが、教室を眺めて感慨に耽っているうちに、ベッドで寝ている赤ん坊の自分がふと思い浮かんだ。
 僕の一番古い記憶が孤児院の天井のシミであることを思い出し、身を乗り出して確認してみると、窓からほんの二メートル程奥の天井に記憶通りの形をしたシミを見つけ、心臓が跳ねた。あまりに記憶通りなので、幻覚かと思ってしまう程だった。
 (かつてこの場所に、確かに僕は存在していたんだ)
 言葉では言い表せぬ不思議な感懐が兆し、僕はしばし呆然と立ち尽くした。
 僕を施設に置き去りにすることを決断した実の親は、一体どんな気持ちだったのだろう?
 厄介払いができてせいせいしたというところだろうか? 貧困の極みに陥り、心を鬼にしての決断だったのだろうか?
 幼い僕を冷たいコンクリートの階段に残し、振り向き振り向き去っていく顔も知らぬ母親が浮かび、うっかり涙が零れそうになった。
「会ってみたいか?」
 僕の様子を察した父が訊いた。
「……一度くらい会いたい気もするけど、無理なんでしょう?」
「実の親御さんとはただの一度も連絡が取れてなくてな。情報が何もないんだ」
「うん。分かってる。だからこその孤児だから」
 そう強がって言うと、分かった、という風に父は黙って頷いた。
 強い風が吹き抜ける中、二人は何も語らず教室を眺め続けた。
 と、子供たちがサッカーボールを手に教室に入ってきた。さっきまでの静けさが嘘のように教室に黄色い声が充満した。そして、アジア人の父が珍しいのか、ぞろぞろと窓の方へ集まってきた。
「おじさん、どこから来たの?」
 前歯が欠けた活発そうな坊主頭の男の子が父に尋ねた。父はニッコリ笑い、もったいぶったように
「どこだと思う?」尋ね返すと
「中国」と即答した。
「惜しい! 場所は近いな」
 父が言うと、周りの子とやいのやいのと話し合い始めた。なかなか結論が出ないので
「日本さ。ほら、侍とか、ポケモンとか、聞いたことないかい?」
 父の方から正解を答えた。
「日本といえば、忍者、寿司、自動車、あとはね……変態アニメ!」
 前歯君がハキハキ言うと、隣の生真面目そうな男の子が肘うちしたので、僕は思わず吹き出してしまった。
「ボク、物知りだな」
 父が褒め、僕の肩に手を乗せ
「この兄ちゃんも日本から来たんだ」と紹介すると、子供たちの視線が一斉に僕に集まった。
「黒人なのに日本人なの?」
「小さい頃に日本に引っ越しして、日本人になったんだよ」
 僕がそう答えてやると、皆で顔を見合わせざわついた。
「日本に住んでたら、毎日水汲みしなくてもいいのかな?」
 別の子に問われ
「うん……僕はしたことないな」と答えると、口々に羨む声が上がった。
「山で働く時は全部機械でやるって本当?」
「山? 木を切ったりする時は機械だけど、山菜取りなんかは手作業だね」
「そうじゃなくて、鉱山で働く時」
「鉱山ならほとんど機械だと思うよ。たまに人が作業するって感じじゃないかな」
「いいなあ。僕はこの前鉱山で穴を掘っていたら、頭に石が落っこちてきて怪我しちゃったから、もう山の仕事はやりたくないんだ。全部ロボットにやって欲しいよ」
「もうお給料を貰って働いてるの?」
「少しもらうけど、パパとママに渡さなきゃいけない。渡さなかったらパパに怒られちゃうから」 
「君くらいの年の子は仕事なんかせず勉強に集中しなきゃ」
「僕はそうしたいけど、パパとママが仕事を手伝えってうるさいんだよ。仕事に行かないで学校に行ったりすると、こうされるんだ」と自分の頬に平手打ちをする真似をした。
 子供たちの話を聞いているうちに、まるで自分だけが不当に豊かさを享受しているかのようないたたまれなさでいっぱいになってしまった。
 今の自分の苦しみは、この子たちの不運な境遇と比べれば取るに足らないようなちっぽけな苦しみなのだろうか。「苦」に価値の高低はあるのだろうかと疑問が頭をよぎった。
 そうこうしているうちに、背の高い女の先生が教室に入ってきた。
 生徒たちが窓際に群がっているのを見て、彼女は手を叩き、席に座るよう促した。
 そしてすぐに見慣れぬ来訪者に気が付き
「失礼ですが、どなた? これから授業なのですが」と怪訝そうに言った。
 その表情には警戒心がありありと浮かんでいたので、通りすがりだとごまかし、お暇することにした。
 別れ際、子供たちに手を振ると「さようなら」と笑顔で手を振り返してくれた。

【第四話 終わり】

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