見出し画像

クルミドコーヒーの朝モヤ

「クルミドコーヒー」は西国分寺にあるカフェで、「朝モヤ」はクルミドコーヒーで月2〜3回開かれている対話の場だ。
朝モヤでは、2時間かけて問いを出して語らっていく。
今回も年代性別様々で20人程度集まった。

傾聴と多様性の受容

対話にあたってルールは2つある。
1つ目は、話すより聴くこと
2つ目は、様々な意見や違いを楽しむこと

今回は下記の問いがあがった。

・なぜサインが欲しいのか?
・病気や怪我からもらえるものとは?
・理屈に合わないが止めれられない感情をどうしたらよいか?
・おまけって嬉しいもの?
・綺麗なものを求めるか?
・なぜ哲学は敬遠されるのか?
・なぜ哲学カフェは20人程度なのか?
・”暇”と”ゆとり”の違いは?
・”おっさん”と”おばさん”の違いは?
・ハラスメントとそうでないものの境界線は?
・社会に出て必要なスキルとは?
・あなたがよく気づくことと気づかないことは?
・非効率的なことをする意味とは?
・どうして告白したくなるのか?
・働かなくても生きていける世の中は良い世の中なのか?
・自分を自分で守ってる?
・なぜ嫌と言えないのか?
・少しでも過ちがあると全人格が否定されるのか?

“暇”と”ゆとり”の違いは?

事業会社のサービス企画からコンサルに転職したことで、様々な業界のサービスに関われるようになったのは刺激的で楽しい。
一方、アサインの有無や数には波があり、物足りなく感じる時が少なくない。

友達に現状を話すと、「ゆとりがあるのは良いことだね」と言われる。
「暇」より「ゆとり」と捉えた方が幸せだと思うものの、何が違いを生むのか。
内省するとともに、他の人はどう考えているのか気になり、「”暇”と”ゆとり”の違いは?」という問いを出した。

働かなくても生きていける世の中は良い世の中なのか?

緩やかな合意形成が行われ、「働かなくても生きていける世の中は良い世の中なのか?」が問いとして設定された。

自分の状況を踏まえた問いに対する答えや、”はたらく”の定義について意見交換がなされた。

いまは働かなくても生きていける世の中。
より楽しく生きていくために、働いていない。
働くにあたって"当たり前の基準"が求められる。

「働く」ことの良し悪しを決めるのは、自主性。
自由に選択できているか否か。
これは”暇”と”ゆとり”の違いにも通じる。

ピンと来る働き方と出会えるかどうか。
そもそも自由に決めることが快感じゃない人もいる。

そもそも”はたらく”とは?
お金をもらうことに限らない。人や社会の役に立つこと。

働くことが辛い。働くことと生きることは同義。

生き物の臓器にはそれぞれに働き(役割)がある。一方、働いていない臓器、盲腸もある。

自分はおそらく専業主婦になることもできるが、今のところは働き続けたいと思っている。
仕事を通して知見が広がり、できることが増えていくのが楽しい。
チームの中で役割を見つけ、対話しながら進めていくと、自己有用感と成長実感が高まって気持ちが良い。

楽しい時間を最大化したいが、基本的には上司からのアサインを受ける立場にあるため、コントロールが効かないことにもどかしさを感じる。
ゆとりのある時間を自ら選択したわけではない。
これが”暇”と”ゆとり”の違いを生むのだろう。

自分の稼働状況を上司に報告してアサイン希望を伝えてはいるが、案件の総数や自分の職位でアサイン可能な案件が少ないときはどうしようもない。

一方、プロボノなど業務外であればコントロールが効くので、「チームでのアウトプットを前提とした、ストレッチ・インプットが必要な場」を探して参加していこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?