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舞台「死ねばいいのに」見た日記

舞台「死ねばいいのに」1月26日(金)夜公演見たので感想書こうと思ったけど、大したことは書けなかった。あの、色々考えるほどに向いてなかった、という気持ちになってしまって、駄目だった。でも一応途中まで書いたからもったいなくてあげちゃう。自分用日記です。

新木さんの舞台、今年一発目。
今年もたくさん、新木さんの芝居が見られますように。そしてできれば面白い作品が多くありますように……。そんなことを願いながらの舞台。

斜め読みだけど、原作予習してからのぞみました。人生で初めて京極夏彦の作品読みました。厚すぎて鈍器のよう……という印象しかなかったのでビビッていたのですが、この作品はそんな長くなかった。
アフタートークにご本人登場回だったので、読んでいってよかった笑

新木さんは主演。渡来健也という、(本人曰く)学歴もなく、職もなく、礼儀も知らず、頭の足りない、若者の役。健也が、殺された「鹿島亜佐美」という女性について話を聞くために、その関係者を訪ね歩くストーリー。
原作読んだ感じ、基本的に会話をしているシーンがメインなので、動きは少ないのかなと思っていたけど、想像していたほど地味ではなかった。
合間に回想がはさまったのと、あと、それぞれが思ってたより激しい演技だったかな。健也もそう。本だけ読んでると、もっと淡々としてるイメージだった。

1人目は派遣先の会社の上司。家庭もあるのに、亜佐美と浮気してた相手。
2人目は隣人で同じ派遣会社の女性。嫉妬に狂って匿名で誹謗中傷メールを送り続けていた人。
3人目は「飼い主」とか「彼氏」と称されるヤクザの男。亜佐美は借金のかたとして母親からヤクザに売られていた。
4人目はヤクザに娘を売った実の母親。
5人目は亜佐美が殺害された事件の担当刑事で、健也はそこで亜佐美を殺したのは自分だと自供する。

この5人はそれぞれ人生に悩みや不満を抱えていて、「亜佐美のことを教えてほしい」という健也の問いから始まる会話は、いつの間にか彼らの身の上話になっていく。
健也は、それぞれの脛に傷があることも知っているけれど、別にそれを詰問しにくるわけではない。でも、本人の言い方とか性格とか亜佐美に対する同情とかもあってなのか、相手を「詰める」ことになってしまって、健也は、最終的に「ならさ、死ねばいいのに」という言葉を告げる。そんなにつらいのに、なぜ生きているのか? という問いかけ。それが、この作品の物騒なタイトルにもなっている。

6人目は弁護士で、健也は弁護士との対話の中で、なぜ亜佐美を殺したのかを語る。亜佐美は、健也の死ねばいいのに、という言葉に対して、死にたいわ、と答えた。これまでの5人のように、不幸でもないのに。
だから、殺した。健也は、亜佐美だって死にたくないのだろうと思っていたのに、最後まで抵抗もしないで、死んでしまった。
それで、亜佐美とは何だったのか、わからなくなって、怖くなって、亜佐美について聞きまわっていた、という話。
弁護士の「君は人殺しだよ」という言葉に、安心したように健也は笑って、物語は終わる。

正直最初に原作読み終わった時は、またこんな、訳の分からない殺人鬼の役……! と思ってしまった。あの、配役で犯人ばれるのよくないんじゃないですか……?
でも健也の、礼儀を知らない口ぶりみたいなのが、自然に馴染んでいよかったですね。すごく現実味がありました。言葉数も多いし、早口だし、まぁ、噛むし、ずっとドキドキはしていましたけど。
あと、殴られるシーン、すごかった。舞台ギリギリまで飛んでて、本当に殴られてるみたいでびっくりしちゃった。受け身とってほしいけど、新木さん受け身とらなさそう。「だって健也は殴られるって思ってないわけだから~」とか言いそう。って友達と盛り上がったのめっちゃおもろかった。言いそうすぎない???(個人の見解)
ラストシーンでうっすら笑うとことか、もはやお家芸感ありますよね。こういう顔させたら天下一品なんです。ハイ。

アフタートークで演出のシライさんが、最初は健也が舞台上にずっといて、周囲の人がその周りを移動していくイメージだったけど、原作を読み直したら、健也もすごくさまよっていると思ったので変えた、と仰っていて(うろ覚えすいません)、すごく腑に落ちた。
私も、原作読んだ段階では、健也を中心に物語が動いている印象を受けていて、でも舞台を見ていたらそうじゃなくて、新木さんの演技も相まって、健也も亜佐美を探してさまよっている一人なんだな、と思った。
作者である京極さんご本人が「こういう話なんですよ」って言っていたことからも、物語を正確に捉えた表現だったんだろうな。舞台を見たことでそこを理解できた。
健也はずっと、亜佐美ってなんなんだろう、と彷徨っていて、恐れていて、他人に「人殺し」だと言われて、自分が殺したのはちゃんと人だったんだな、って、安心したってことなのかな。物語の中心にいるのは亜佐美だったんだね。

こういう、お話の構造とかについて考えてみれば、面白かったんだけど、正直出てくる人たちみんな難有りで、そこに対峙する健也も、物を知らないという設定故に無神経で、私自身はどこにも身の置き所が無い話だった。
なんかこう、「死ねばいいのに」という発言から、逆に生への執着が描かれているという、それぞれの対峙がメインテーマのひとつなんだろうけど、真剣にそれぞれの話を聞いてしまうと、ツッコミどころが多いというか、しんどいというか、うるせー!っていうか……。
まぁ、向いてなかったです(雑)
アフトでちょっと触れられていたように、古いというのも原因なのかもしれない。でも、これを現代に合わせて変更するとなると、かなり勉強が必要だし、もう全然別のスケジュール感になっちゃいますよね。

正直、アフタートークがあったことで、満足感爆上がりしてる気がする。
なんせ作家の話を直接聞けるわけですから……。
京極夏彦さん、和装できめてて、かっこよかった! お話もとても面白いし、盛り上げようとしてくれていて、素敵な人でした。
「死ねばいいのに」というタイトルが、でっかい垂れ幕になって出版社のビルにばーん!て飾られた話まじで面白かった。
あと、自分の中には書きたいものは無くて、書いてほしいと言われたものを書く、というのが衝撃だった。職人だ……エンターテイナーだ……。そんな作家もいるんだなぁ。
書いてほしいと言われたら書くのに、その書いてほしいものを編集者はハッキリ言ってくれない、という謎の愚痴も面白かった。

終わってから友達といろいろ話して、そうそう、そうよな~って思うことたくさんあって、人と見て、人の話を聞けるのはありがたいなと思った。特に、自分の中でしっくり来ていない時は。私はその場で思ったことを口にするのはうまくできないことが多いけど。
あとこの時食べたカルボナーラピザがめっちゃおいしかったです。

新木さんのファンとしては、新木さんがいっぱい喋って出ずっぱりで満足感はあったけど、振り返れば振り返るほど、向いてない話だったなと思います。次回はひとりくらい好きになれる人が出てくる物語が見たいなと思いました。終わり。


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