ルフィの夢の果ては「海水浴」
ルフィはカナヅチを克服して自由に海を泳ぎたい
夢の果ては
しょぼくて 個人的で 絶対に不可能 なこと
「しょぼい」
夢の果てを聞いた登場人物ほぼ全員の反応が驚くでもなく冷ややか。ウソップ「全然言ってなくて構わない」のように無関心でもある。
「個人的」
エース、サボが語る夢の主語は自分自身だった。
他人事ではないという反応はジンベイだけ。
「絶対不可能」
「そんなことできるわけねェだろ!」、「ムリだし!」ウソップは2コマ使って全否定。
差別のない平和な世界、大宴会のような壮大でポジティブな夢だと仲間の冷ややかな反応の説明がつかない。勇敢な海の戦士になるという抽象的な夢を持つウソップでさえも冷静に全否定。
登場人物の反応に対する解釈
ウソップ
「いやいや、お前・・・」、「そんな事できるわけねェだろ!」
→「いやいや、お前・・・(は悪魔の実の能力者なんだから)そんな事(泳ぐことを)できるわけねェだろ!」
ジンベイ
「他人事ではない」
→魚人族であるため泳ぎの特訓に付き合わされる
チョッパー
「それいいなー!その夢いいなー!」
→雪国生まれのトナカイに海の中で遊ぶという概念はない。初めて海を泳ぐことを想像して目をキラキラさせている。
フランキー
「海賊王にくらいならないと無理」
→海賊王自体が不可能な夢であり、その不可能を実現できるのなら能力者によるカナヅチ克服も可能だろう
サニー号
「!?」
→自分が今やってることだから驚いている
ヤマト
「僕は笑わないよ」
→「僕は(君がカナヅチを克服しようとすることを)笑わないよ。」1話でルフィはカナヅチをシャンクスに笑われている。
白髭
「ガキでもあるめぇし」
→「(海水浴って)ガキでもあるめぇし」
海水浴は誰でもできること。だからこそ「夢の果て」として聞いても最初はピンとこないが、悪魔の実を食べる前よりカナヅチで泳げないルフィにとって泳ぎたい願望を持つことは自然。
ルフィは「夢」ではなく「夢の果て」と発言している。世界平和のような壮大なことは、ルフィの夢(海賊王)を実現させる過程の中で結果的に達成されるため夢の果ては壮大である必要はなく、たくさんの人を巻き込むようなものでもない。
尾田先生の夢の果て
尾田先生が自身の夢(ワンピースの完結)を叶えたあとにやりたいことが夢の果て。ワンピースというお話の中で主人公として活躍するのはルフィだけど、そのワンピースに人生を費やしたのは尾田先生本人。
夢の果ては、尾田先生による「完結させたら、連載のことを考えずに海とビーチでのんびり過ごしたい」という意思表明であると考える。597話後の長期休載時にはハワイ旅行に行っており、夢の果ての初出し585話の頃からハワイの海を意識してても自然。
「冒険」の対義語は「母」
78巻SBSでは「冒険」の対義語は「母」とコメント、そして海という漢字の中には母が入っている。冒険の終わりは海に中に入るということ。
最終話、最終ページ
ジンベイから泳ぎの特訓を受けカナヅチを無事に克服し、最終ページでは夢の果てを打ち明けた時と同じ仰向けの体勢と表情で海にプカプカと浮かんでるルフィ。
整合しない点
[なぜロジャーの夢の果てが海水浴?]
ロジャーの情報が全て開示されていないため、現時点では考察不可。
[エースの発言]
弟がカナヅチを克服するところを見たかった、と死に際に言うのは不自然。
[アニメ版の設定]
ルフィのカナヅチ設定がない。
Netflixで始まるアニメ内の設定はどうなる?
[能力者はカナヅチ克服不可では?]
野田クリスタルさんの「物語最後には悪魔の実の影響もなくなり、普通の世界に戻る」という考察を推します。
海が舞台なのに主人公が楽しく泳いでいる描写が最後まで描かれないのは変では?というのが、この考察の出発点。
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