生誕10000日のプレゼント

“生まれて10000日記念日”なる考え方があるらしい、と知ったのは、去年のこと。何がきっかけだったかは忘れたが、当時の私は、分かりやすい数字の重みに少しわくわくして、カレンダーにその日を登録した。インターネットは色々なことがすぐに計算できるから、便利だ。

4月になり、記念日の存在を思い出した。よく見るとその日は休日。それなら何かしようか、と妄想が広がった。
「甘いものを食べに出かけようかな?何かに10,000円を贅沢に使う、とかもいいな…10,000円のワインとか、夢あるなぁ〜」
この辺まで妄想が広がった頃には、理由をつけて贅沢をしたいだけでしょう、ともう1人の自分に戒められ、それ以上は広がらないまま。
気がつけば前日だった。

当日は雨予報だったので、お出かけ気分はすっかり萎んでいた。いつも通りでいいか、と諦めつつ、思いつきで両親に一言「明日で生まれて10,000日経つらしい」とLINEを送った。もちろん、大した反応は期待していない。
「あっという間だね」という話ができれば十分で、話が広がらなくても、生存報告LINEにはなるし良いだろう、くらいの気持ちで送った。

ほどなくして、返信がきた。
「がんばった!」と笑っているスヌーピーのスタンプ。
予想と異なる返信で一瞬面食らったが、それはじわじわと効いてくる言葉だった。
私はこれまでの日々、常に1番険しい道を選んできたわけではない。人に迷惑をかけたり嫌な思いをさせてしまった場面を思い出すと、常々消えてなくなりたい気持ちになる。守れていない目標も沢山ある。
それでも、生誕10000日目を迎えられるのは、9999日間、生きることを諦めずに踏みとどまってきたからだ。その1点に関しては、確かに“頑張った”のかな、と穏やかな気持ちになった。

誕生日(にせよ、●日経過にせよ、とにかく生誕記念)に贈るべき言葉は、“がんばった!”であると主張していきたい。

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