引退する調教師の皆様へ、お礼の言葉

こんばんわ、えーぴーでございます。
2月も最終週です。この季節はJRAにおいて年度替わりの性質もあり、毎年色んな騎手・調教師さんが引退・勇退されます。
ただ今年の引退・勇退される方々は個人的にいつもの年と違い、思い入れのある方が非常に多く、居ても立っても居られないので競馬場に・・・となるのがいつもの行動ですが
いかんせんまだJRAは無観客競馬の最中。現地に行けないのでこうして記事にまとめようと思った次第です。

8人の調教師の方々をそれぞれ書こうかなーと思ってたんですが、今回は特に思い入れのある3人の調教師のことを書こうかなと思います。
いや他の方もあるんです(笑)
ただどうしても書いていくとその3人の方よりも思い出が薄く、手抜き感が出るくらいなら書くことが失礼だと思い。他の方に託す(?)ことにしました。

1、友人から教えてもらわなければ・・・ 石坂正調教師


話は自分が学生時代の頃にさかのぼります。当時自分は競馬好きの友人がいました。
その友人からウイニングポスト5を借り、競馬に本格的に触れたことが全てのきっかけだったと思えます。
そんな友人はエルコンドルパサーが大好きでした。当時すでにエルコンドルパサーはこの世を去っていました。当然友人はエルコンドルパサー産駒を応援することになるのです。
その少ない産駒の中で彼が推していた馬が

ヴァーミリアンです。

ヴァーミリアンはこれを読んでいる熱心な競馬ファンの皆さんならお分かりだと思いますが、当時友人からヴァーミリアンの存在を教えてもらったときは4歳の3月ごろ。
もともとはクラシック候補で芝でも重賞を勝っていたのですが、同期にはあのディープインパクトがいて、かつ兄弟も活躍していたダートに主戦場を移し、本格的にダートG1路線に乗り始めた時です。
最初は何の気なしに聞いていたのですが、それからみるみるダート路線で力をつけ、その黒鹿毛と雄大な馬体と強さに惹かれ、いつの間にか友人以上にその馬にのめり込んでいる自分がいました。
そしてそのヴァーミリアンを管理していたのが石坂正調教師でした。

応援をしに大井や阪神にも行きました。当時あったG1 7勝の壁を一発でクリアした名古屋JBC、JBCクラシック3連覇、史上初のダートのみで獲得賞金10億超え、2度のドバイ遠征。本当中央・地方・海外とこの馬を通じて初めてのいろんな「競馬の世界」を見せてくれました。
あとはいろいろな騎手がこの馬にまたがりましたが、石坂先生、やっぱりこの馬には武豊騎手しか僕には考えられなかったです。

本当にこの馬は自分にとって競馬を語るうえで絶対に外せない馬です。そのヴァーミリアンを育てて強くしてくれた石坂先生。本当にありがとうございました。
世間は石坂厩舎と言えばほかの馬を挙げる人が多いかもしれませんが、僕にとってはヴァーミリアンが一番です。
そして友人にもありがとうと言いたい、それだけの馬・存在と思ってます。

ですが、この物語にはちょっと続きがあります。それが次に書く湯窪調教師の話です。

2、好きな馬の産駒に出資する!すべてはそこから始まった 湯窪幸雄調教師

大好きなヴァーミリアンが引退し、種牡馬生活をはじめ、初年度産駒も1歳になったころ。当時自分はいわゆる「一口馬主」のクラブ会員でした。ただ当時入っていたクラブではどうもヴァーミリアン産駒の募集はない。
そうなったら別のクラブを探すしかないという事で、ヴァーミリアン産駒の募集があった日高主体のクラブ「ユニオンオーナーズクラブ」に入会しました。

しかしヴァーミリアン産駒は中央のダートで戦うスピードが無いせいか、なかなか活躍が出来ず、事実自分のヴァーミリアン産駒出資馬の最初の3頭を振り返ると
1頭目 アイルゲットユー デビュー直前に重度の下痢発症。そこから蹄葉炎を併発し安楽死処分
2頭目 アオテン 惜しいレースが続くも未勝利脱出できず(その後地方で3連勝、中央復帰。去年7歳にして中央初勝利)
3頭目 プランソレイユ 精神面でかなり苦しく、僅か2戦で未勝利引退。

といった具合でした。
その中で4頭目がワタシノロザリオです。そしてその馬を管理していたのが湯窪幸雄調教師です。

ワタシノロザリオ、多分ほとんどの人が知らないと思います。
でもこの馬も自分にとって思い出深い1頭です。その戦歴を振り返ってみると、
新馬はとりあえず芝を使うも惨敗。2戦目ダートに行くも惨敗。3戦目は落馬に巻き込まれ完走できず。
「大丈夫なのだろうか・・・」と思った4戦目、小倉ダート1700mの牝馬限定未勝利戦で「大事件」が起きます。

あれだけ道中ついていくのがいっぱいだった馬が、3コーナーからまくっていき、直線並びかけると一気に抜け出し、単勝250倍以上のロザリオが6馬身差をつける圧勝劇を見せてくれたのです。

湯窪先生はこういうダートで、冬で大穴をあける性質のある調教師というのは後で知った事でしたが、それでも自身の大好きなヴァーミリアン産駒で中央初勝利という夢をかなえてくれた湯窪先生には本当に感謝しております。
さらにワタシノロザリオはコンスタントに走り続け、実に39戦走り3勝を挙げました。
ここまで使ってくれたこと、出資者としてありがたいことです。この馬からはどんなに人気があっても、素質があっても、レースに出なければノーチャンス。その逆も然り。人気が無くても走ってみなくちゃ、すべてはわからない。
それを教えてもらったように思います。

コンスタントに使ってくれるからこそ日々の楽しみが増え、自分の競馬ライフが充実し、彩をそえてくれました。
他の厩舎ならばどうなってたのか、ごく稀に考えることもありましたがロザリオが引退した今、この馬にとっては湯窪厩舎で良かったと断言できます。
本当にありがとうございました。

3、不安な時に「勇気を与えてくれた馬」 角居勝彦調教師

最後は多くの人が思い入れのあると思いますが、角居先生です。
皆さんにとって角居先生といえばなんでしょうか。
ウオッカ、エピファネイア、カネヒキリ、サートゥルナーリア・・・いろいろあると思います。
ですが自分にとってはヴィクトワールピサです。

3歳時の皐月賞、有馬記念制覇もありますが。やはりハイライトは2011年、東日本大震災直後に行われたドバイワールドカップでしょう。
当時の自分は山口県に住んでいました。よって被災自体はしていないのですが、実はこの時4月5日から災害支援業務として岩手県に一時派遣されることが決まっていました。
岩手県は西日本に住んでた自分にとって何の縁もゆかりもありません。まったくもって初めて行く場所、しかも初めての被災地での業務、余震は続いている状態。頑張るという気持ちよりも不安の方がもちろん大きかったです。

そんな中で迎えた3月26日深夜のドバイワールドカップ。レースは皆さんが知るように向こう正面でまくっていったヴィクトワールピサが先行押切で見事に優勝。2着もトランセンドで日本馬ワンツーの大快挙でした。

不安な中でのこの結果、何かに導かれるようにつかみ取った勝利。
よく「スポーツの力で勇気を」という言葉がありますが、自分にはいまいちピンと来ていないところもありました。
しかし、この勝利は自分にとって勇気を与えてくれる1勝で、「さあここから頑張るぞ!」とメッセージを送ってもらったように感じました。
ゴールの瞬間から号泣し、その夜何度も何度もレースを繰り返し見て、気づけば朝6時ぐらいになってたと思います。

支援業務を終えて戻ってきた直後、阪神競馬場でドバイワールドカップ優勝祝賀イベントがあったのを思い出します。
アメニティホールにはトロフィーが展示され、トークショーにはもちろん角居先生も参加され、ましてやちょっとしたハプニングで市川オーナーと握手することもできました。

そんな馬を育て上げた角居先生、家業を継ぐために競馬界から離れると聞いた時には「へ?」と思いましたが、
ご自分で選ばれた道を邁進していくことを祈っています。

奇しくもヴィクトワールピサも調教師の引退と同じ年に日本を離れ、トルコで種牡馬生活をスタートさせ、それぞれが新たなスタートに立つという年になりました。
本当にありがとうございました。


最後に・・・
いま競馬界はいろいろな問題があります。その中でまだまだやりたい事も、心残りもあると思いますが、これからも競馬を見守っていただければと思います。
本当にお疲れ様でした!!そして、ありがとうございました!!

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