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いい子じゃなくてもいいと言ってほしい/デンマークで考えたこと

デンマークに行って考えたことのひとつめ

出会ったデンマーク人のお母様は瞑想の先生をやっているそう。どういう人に施術してるんですかと聞いてみたら、いろんな世代、色んな人がいて、あなたみないに大学生とかもいると。どんな大学生が来るのか聞いてみると、具体的には、女の子でいい子だねと言われて育てられて、大学に入ってからいい成績がとれなくなったり、評価されなくなったりして病んでしまう人多いそうだ。そういう人にしていると。

それを聞いてはっとした。自分もいい子として育ったかもなあって。勉強とかいろいろあまり器用にできない弟が、ちょっと出来たのを褒められて羨ましかったなあって。

そういえば、子供のころやっていけない、これはしない、みたいなルールが自分の中に沢山存在していたことを思い出す。

例えば、おもちゃなら、なにか生活に役立つものを買う。役に立たないものは買わない。そして、買ってもらっていたのは、うまくトレースができる機会だったり、アイロンビーズやクラフト系のおもちゃ。作ったあとに、使えるものなら良いと思っていた。

戦隊モノのソフビ人形を買ってもらう弟の気持ちは全く理解できなかったし、何なら下に見ていたと思う。あんな意味のないものを買ってどうするのだろうと。

今なら、可愛いものを買うと自分が嬉しくなる!とか、良いものを体験するとそのあとの楽しく暮らせる!といったように、見えないものにも価値を感じられるようになったり、自分自身の心が動くことが素敵だなと思えるようになってきているけど。

それから、私のルールには悪口や、愚痴、汚い言葉は親の前では使わないというのもあった。そんな言葉使うなんて、と親や先生をがっかりさせたくなかった。

最近、「私とはなにか 個人から分人へ」という本を読んで納得がいったのだが、私は親に対する自分と、友だちに対する自分にかなりギャップがあった。これはそれぞれキャラを作っているわけではなく、それぞれ自分の分人だったというもの。だから、友だちと親とが同時に存在する場ではどうしたら良いかわからず完全に頭がショートしていた。友だちとはそこそこ話すけど、友だちも親もいる場ではどこかそっけなかったと思う。

先月、母と石垣に旅行に行った。話の流れで母が「(あなたは)あんまり親にいろいろ話さないタイプだよね。」と言った。

石垣から帰ってからも妙にその言葉が引っかかっていたが、私の親との分人は今もいい子でい続けているかも知れないと思った。今も、愚痴を言ってはいけないし、悪い言葉遣いもしてはいけないと思っているから何も離せなくなってしまったのかもしれない。

どうすればよかったのかなあ。どうすれば、これから色々話していけるかなあ。思えば、家族が死んだときの想像をしたときに、思い浮かぶのは「もっと話しておけばよかった」「あの話もこの話も聞いてみたかった」ということだ。できるなら、自分で作ってしまった「いい子」から開放されたい。





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