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空気呼吸器が怖い消防士 その3

彼「隊長、ちょっとこの後いいですか?」

勤務が終わって私服に着替えようとロッカーに向かっていると、後ろから声をかけられた。

誰にも聞こえないように、でもしっかりとした声で僕に話しかけてきたのは、あの彼である。

👩‍🚒「ん?どうした?」

彼の表情を見ると、とても不安そうな顔をしていた。明らかに悩み事とわかるその顔を見て、休暇の相談か、はたまたやんちゃな後輩の相談か・・・。相談と言ってもその位だろうと当たりをつけた。

やれやれ。誰かに相談したいのはこっちの方だっていうのに・・・。帰ったらすぐに閉所恐怖症について調べなければならないのだ。

彼「この後、喫茶店で、、どうですか? 時間ありますか?」

👩‍🚒「あ、、ああ、もちろん。わかったよ。大丈夫だ。いこう。」

平静な顔を装っていたけど、きっと彼にはそうは見えなかっただろう。きっと動揺しまくっていた。喫茶店まで行って相談って・・・。結構な悩みじゃないか?休暇の相談ではないな。まさか退職したいとか言い出すんじゃないだろうな。

たった今勤務を終えた僕たちは、たった今勤務が始まった彼らに挨拶をして消防署を出発した。

さて、彼が退職したいと言ったらどうやって引き止めればいいか。給料の問題?人間関係?続ければいい事あるさなんて。そんな単純な問題じゃないよな。

あーでもないこーでもないと考えたが、大した名案も浮かばないまま、あっという間に喫茶店に着いてしまった。

彼「隊長すいません。時間を頂いて。」

👩‍🚒「はは。大丈夫だよ。僕でよければ聞こうか。相談?」
動揺は隠せない。

少しの沈黙の後、彼はゆっくりと話し出す。

彼「・・・ずっと黙っていたんですけど。」
👩‍🚒「うん。」

彼「僕、空気呼吸器が付けられないんです・・・。」
👩‍🚒「え? 付けられないってどう言う事??」
あまりの展開に、僕の心臓が”ドクん”と脈打つのが分かる。

彼「だから今度の訓練、僕を外してもらえませんか。」
👩‍🚒「・・・(僕と同じかよ・・・・)」

彼「なんて説明したらいいか・・・マスクをつけると息苦しくて、不安と言うか、嫌な感覚になると言うか・・・。すぐに外したくて、作業に集中できなくなるんです。・・・すいません。」

👩‍🚒「そ、そうか。いつ頃から?」
心臓のドキドキが止まらない。

彼「いつからかでしょうか・・・。若い頃は問題ありませんでした。普通に空気呼吸器をつけて訓練もしていましたし、火災現場でもマスクを付けていました。それなのに、ある日たまたま空気呼吸器の点検でマスクを付けたと時、なんか胸がモヤっとして・・・。あれ?って・・・。」

彼は、その時の様子を、少しうつむいた様子で事細かく話してくれた。空気呼吸器の点検でマスクを付けた時に、息が吸いにくいと感じたのが始まりだそうだ。最初はマスクが壊れているのかな?と思い、整備を行ってまたマスクを付けてみる。でもやっぱり息がしにくい。おかしい・・・。なんだ?・・と。

空気ボンベのホースを繋げずにマスクだけ付けた状態だと、確かに息は吸いにくいが軽い作業なら当たり前にできる程度だ。心拍機能を高めるために、ホースをつなげずにマスクだけを付けてランニングもする消防士もいるくらいだ。

例えば火災現場でも、いざ空気が必要になる場面になるまではマスクだけで作業を行なって、煙が立ち込めてきそうな時に初めてホースをマスクに繫げるなんてことはよくある。その方が空気ボンベ残量の節約になるのだ。

👩‍🚒「空気ボンベのホースを付けても、息苦しさは楽にならないの?」

彼「はい。何度か試しましたが変わりません。」

煙のないところでも、空気ボンベのホースを付けてみても、様子を変わらないと彼は言った。

”とにかくマスクを外したい。”
”マスクがいやだ。”
”苦しい。”
”息ができない。”

彼も隊を指揮することがある隊員だ。”そんな姿をとても後輩には見られたくない”と彼は言った。だから、せめて次の訓練は自分を外してほしいのだと・・・。

決定的だったのは、今年行った訓練の時。空気呼吸器のマスクを付けて、建物へ入り要救助者の人形を救出すると言う訓練だった。いざ訓練が始まってしまえば息苦しさなんて気にならない。きっと大丈夫だ思い、マスクを付けて建物に入ったのだそうだ。訓練だからもちろん煙なんかない。いたって安全な現場・・・のはずだった。訓練開始して5分後、彼は汗びっしょりになって、訓練の建物から一人で出てきたのだそうだ。彼の顔からマスクは外されていた・・・。

単独行動は禁止という場面での出来事だったので、何かあったのかと皆んなが駆け寄ってきたらしいが。「朝から体調が悪い」となんとかごまかして、特に問題にならなかったそうだ。

👩‍🚒「そうか。僕はその日休みだったから、そのことを知らないのか。」
彼「はい。報告は自分でするから大丈夫と後輩には言いました。黙っていてすいません」

👩‍🚒「いや、それはいいんだ。」
僕は、伝えにくいことを話してくれたお礼と、これからの事は少し考えさせてほしいという事。決して悪いようにはしないという事。そしてこの事は当面は誰にも話さない。話す時が来たら、話前に君に了解を取る。
そしてもし空気呼吸器を使う現場が次にあれば、君はマスクを付けない役割を当てるから安心して仕事をしてほしいと伝えた。

「僕の問題が、僕らの問題になったと言うことか。」
喫茶店から帰った僕は、ソファに寝転んだ。

彼は次の異動のタイミングで、災害出動のない部署へ異動希望を出すつもりだと言っていた。人事異動までの残り半年。空気呼吸器をつけなければならない状況になったら、僕には期待しないでほしいとも。

現場で使えないから困るとおっしゃるなら、すぐに隊のメンバーから外してもらっても良い。その覚悟はできているとも彼は言った。

僕は結局、自分も「空気呼吸器が怖い消防士」なんだって打ち明けることはできなかった。理由は今でもよくわからない。見栄を張りたかったのかもしれない。隊長の威厳を示したかったのかもしれない。相談を受けているのに、逆に相談をすることになってしまうのが恥ずかしかったのかもしれない。

ただそこで、お互いの悩みを打ち明けて傷を舐め合ったとしても、全く意味がないことはわかっていた。僕はこの自分の状況をなんとかしなければいけない。彼もたまたま同じ問題を抱えているが、僕も同様の問題を抱えている。

消防士にとって、空気呼吸器が怖いと言う状況は良いとは言えない。そしてその状況は、”チームにとって良くない”

隊長の自分が空気呼吸器が怖いのは大問題だが、それでも僕がマスクをつけて活動をすると言う現場はあまりない。僕は隊長。指揮する方が断然多い。隊長自ら火災建物に入っていく事はほとんどないない。

問題は彼だ。彼は僕の手足となって現場の最前線で動く。彼の下にも隊員がいる。彼は隊長である僕の命令をクリアするために、隊員と共同して災害に挑む役割。空気呼吸器を使う場面からは逃れられないのは彼の方だ。

そう、状況的に深刻なのは僕よりも彼の方。

「まずは、彼の方をなんとかしないと・・・・」

自分の事で悩んでる暇なんかねーし‼️


僕は両手で頬を「パン!」と叩いたあと、パソコンを開いて”心理学” ”閉所恐怖症” ”空気呼吸器”について調べ始めたのであった。




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