「台所の情景」

『凍』(沢木耕太郎)について

 長く仕事をさせていただいている学校の先生方と話をしていて、生徒の皆さんへのご指導のことが話題になった時に、ある先生が表情を和らげてこんなことをおっしゃった。その指導の温かさと厳しさをよく耳にしていた−−というか……率直に言うと「怖い」と言われていた先生だった
 「いつも夜帰ってお米とぎながら反省するんです。わたし今日ちょっときつく言い過ぎたかなぁって」
 それを聞いてから、その先生にお目にかかるたびに、小柄で華やかな容姿や、きびきびとした立ち居振る舞いの向こうに、台所の景色を想像するようになった。生徒さんのことを思うからこその厳しさの、奥底にあるものがもっと見えるようになった。

 読書案内の企画の話をしたら友達が『凍』を選んでくれて、この壮絶で過酷な登山行を大きく息をするのも憚られるような気持ちで読み終わり、くっきりと心に残ったのは台所の情景だった。ヒマラヤ・ギャチュンカン北東壁への挑戦から戻り、山野井泰史さんは足の指5本と手の指2本を、妻・山野井妙子さんは手の指10本を凍傷のために失うことになった。
 その手術のあとに、夫妻が2人で暮らす奥多摩の家での様子が描かれる。妙子さんが指を失くした手のひらで包丁を持ち、指と指のあいだにわずかに残った部分で菜箸を持てるようになり、固いかぼちゃを包丁で切って煮物を作ることができるようになる。その様子が、短い記述であるけれどとても丁寧に描写される。

“妙子にとってもっとも重要なことは、包丁と箸が扱えることだった。この二つがどうにか扱えるようになったことで、とても幸せな気分になった。”

 難峰に挑み、命の瀬戸際に立った人の、しなやかな強さ。その精神の有り様の豊かさと美しさ。ほとんど不意打ちのように、ここで感情がこぼれた。人生は地続きなのだと思う。ひとりの人の体と心が、挑戦の時と日常を行き来する−−−挑戦も、その方法も、それによって得るものも失うものも人は自分で選び取り、一度しかない人生を淡々と生きていく。そのことの圧倒的な尊さを思う。

あらすじ/『凍』沢木耕太郎 2008年
登山家・山野井泰史が、同じく登山家である妻の山野井妙子とともにチベット奥地・ヒマラヤのギャチュンカン北東壁に挑む登山行。過酷な状況下のビバーク、重度の凍傷、襲いかかる雪崩。その壮絶な挑戦を描いたノンフィクション。かつて自身の旅を記した『深夜特急』が若いバックパッカーたちのバイブルとなった沢木耕太郎の、新たな代表作とも言える作品でもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?