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死刑制度違憲説について

2021年6月8日に配信された朝日新聞記事を読んで、「そういえばそんな事考えていたなぁ……(遠い眼差し)」と思い出しましたのでちょっとかいつまんで久々に長……中くらいの文を書いてみます(`・ω・´)ヾ

朝日新聞(2021年6月8日配信記事)抜粋

都、大阪、兵庫で2012~13年、遺産目的で夫や交際男性ら3人に青酸化合物入りカプセルを飲ませて殺害したなどとして一、二審が死刑としたA被告(74)の上告審で、最高裁第三小法廷(宮崎裕子裁判長)は8日、検察側・弁護側の意見を聞く弁論を開いた。

死刑制度「後の時代に残虐とされることもある」

上告した堀和幸弁護士らは、死刑が憲法36条の禁じる「残虐な刑罰」に当たらないとした1948年の最高裁大法廷判決には、「後の時代に残虐とされることもありうる」という4裁判官の意見が付いていたと指摘。凶悪犯罪が減っていることや世界の7割の国が制度を廃止・停止し、世論調査で国民の4割が将来の廃止を容認していることなどから、「残虐と判断される時代になった。漫然と合憲判決を続けることは許されない。憲法の番人として英断を下すときだ」と訴えた。
https://www.asahi.com/articles/ASP685JJRP68UTIL014.html

さてこちら。死刑制度違憲説というのは「死刑は憲法違反だから廃止しなくちゃいけないんじゃないか」という廃止論のひとつです。死刑制度違憲説が法廷で活発にかわされたのは昭和23年頃~昭和33年頃の約10年間です。勿論その後も「違憲説」が主張されましたが、おおよそこの10年間で最高裁判所の判例が整ったということです。

なぜこの時期に死刑制度違憲説が活発化したかというと、次の2点に集約されるんじゃないかなと考えています。

1.日本国憲法が制定されたから
2.世論は全く死刑廃止論などに賛同していなかったから

「日本国憲法が制定されたから」ってなんやねん?

日本国憲法は日本国憲法は昭和21年(1946)11月3日に公布され、昭和22年(1947)5月3日に施行されました。しかし一般法については改正等がされず、刑法は大日本帝国憲法下の明治41年(1907)に施行されています。つまり「大日本帝国憲法下で作られた刑法なんだから新憲法下では色々と不備があるんじゃね?」と考えたわけですね。

当然刑法の違憲問題は予想されたわけで、昭和22年(1947)の日本国憲法公布にあわせて刑法の改正がおこなわれました。

昭和22年刑法改正のポイント

・不敬罪、大逆罪などの皇室に対する罪削除
・姦通罪削除

https://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column053.htm

他にも改正は行われたのですが、ポイントは上記です。つまり第1条(国民主権)によって皇室に対する罪が削られ、第14条(法の下の平等)によって姦通罪が削除されたわけですね。ただこれでも色々と不備はあって尊属殺人罪(刑法第200条)は残されました。

刑法第200条 尊属殺人罪
自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス

(意訳)おまいらのじいさんばあさん、とうちゃんかあちゃんを殺したら普通の殺人罪で裁かれることはねぇぞ

この条文について有名な違憲判決がでたのは昭和48年(1973)ですから随分と長い間違憲状態が続いたわけです。違憲である刑法で処罰されていた人たちもいたわけですが、この違憲判決によって昭和48年(1973)~昭和50年(1975)には109名の尊属殺人罪被収容者・死刑確定者の恩赦請願が行われて減刑21名、刑執行免除22名を数えました(このように恩赦は最後の救済手段として重要なわけですな)。

死刑制度違憲説を考えるとき、この違憲判決はとても重要なポイントとなります。つまり「死刑制度自体が違憲なのであれば、すべての確定者は刑を減免(まぁ免はないでしょうが)」されるわけです。現在収監中の死刑確定者は無期刑への減刑されるんじゃないでしょうか。

そこで様々な条文について違憲説が出されました。ざっと上げると次のようになります。

日本国憲法第9条違憲説
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(主張)
「平和主義」は、憲法の基本原則である。これは国家による全ての暴力を否定するということを意味する。言い換えれば日本国憲法が、国家権力による戦争を否定し、その武力(暴力)を放棄をしているのに、国内的において死刑という国家権力による暴力を肯定しているのは矛盾しているといわざるを得ない。

(判決)
同条の規定から死刑廃止に至らねばならないと解すべき理由を見出すことはできない。

昭和26年4月18日 最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/516/055516_hanrei.pdf
日本国憲法第13条違憲説
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(主張)
「公共の福祉の目的による人権の制約」をもって死刑制度は存在するとされるが、憲法前文では「個人の尊厳」を基本理念としており、死刑制度そのものはこの制約限界を超えるものであるといえる。犯罪者を死刑にしなければ直ちに他の生命に危機が及ぶとはいえず、公共の福祉に反するとまでいえない。よって死刑制度は日本国憲法第13条に明らかに違反する刑罰である。

(判決)
この条文では公共の福祉に反しない限りという厳格な枠をはめているから、もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限ないし剥奪されることを当然予想しているものといえる。

昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/385/056385_hanrei.pdf

(判決)
反対に言えば、この条文では誰でも自他ともに個人として尊重すべく要求されているということである。他人の生命を尊重しないで故意に侵害した者は、自分の生命をも失うべき刑罰を科せられることもある

昭和24年8月18日最高裁判所第一小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/481/055481_hanrei.pdf

日本国憲法第25条違憲説
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

(主張)
日本国憲法第25条ではすべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとしており、死刑制度は明らかにこの条文に違反していると言える。

(判決)
死刑制度自体が憲法9条、13条及び36条に違反するものでないことは、最高裁判例の示すところにより、合憲である。これらの判例により死刑制度自体が日本国憲法25条に違反するものでないことも明らかである。

昭和33年4月10日最高裁判所第一小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/547/050547_hanrei.pdf
日本国憲法第31条違憲説
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

(主張)
日本国憲法第31条は第13条との整合性を欠く。日本国憲法前文を考える場合、憲法の目的は「個人の尊厳」があまねく実現されることにあり、憲法13条が第31条より憲法の目的により合致しているといえる。故に、日本国憲法第31条によっても死刑制度は本来排除されるべきである。

(判決)
日本国憲法31条は法律の定める手続きによって生命を簒奪する刑罰を科せられることが、明らかに定められている。死刑制度が逆説的にとはいえ明文化されていることから、死刑制度の存置は合憲であるといえる。

昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/385/056385_hanrei.pdf
日本国憲法第36条違憲説
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

(主張)
死刑は執行方法の残虐性以前にそもそも生命を剥奪すると言う極限の残虐性をもっている。多くの死刑囚、また、死刑執行官、立会検事の中ですら精神異常をきたすものもいるという現実がある。人間が高度な精神的存在であることにその尊厳性があるのであれば、このような刑罰は残虐であるといわざるを得ない。死刑制度そのものが日本国憲法第36条に違反しているのは明白である。また死刑執行方法である絞首刑を定めた刑法第11条はその執行方法が残虐であると言え、日本国憲法第36条違反である。

(判決)
死刑は、まさに究極の刑罰であり、また冷厳な刑罰であるが、刑罰としての死刑が残虐な刑罰に該当するとは考えない。日本国憲法第36条でいう残虐な刑罰とは、例えば火炙り、磔刑等の執行方法を指していると解釈される。現在の価値観では絞首刑は残虐な刑罰にはあたらず、合憲であるといえる。 

昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/385/056385_hanrei.pdf

(判決)
現在各国において採用している死刑執行方法は、絞殺、斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等であるが、これらの比較考量において一長一短の批判があるけれども、現在わが国の採用している絞首方法が他の方法に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない。

 昭和30年4月6日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/648/055648_hanrei.pdf

個人的には11条、12条、97条、98条あたりの違憲論があってもいいかなとは思いますが、基本的には「昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決」を根拠にすべて認められないことになるのではないかと思っています。

死刑制度違憲説でとっても重要な判決

昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/385/056385_hanrei.pdf

昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決とは

この判決はすべての死刑違憲説につながるものであり、とても重要なものです。なんとこの判決だけでwikipediaに一項たっているくらいです。判決理由では次の文章が綴られています。

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊厳な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。

死刑制度で語られる有名な成句、「人命は地球よりも重い」というのはここからきています。そんでもって「地球よりも重いのにそれを奪うのがなんで合憲やねん!」ってのは当たり前の反応だとは思います。

しかし結局上記で述べたように「(憲法13条では)もし公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限ないし剥奪されることを当然予想しているものといえる。(意訳:人権の制限はOKって書いてあるでしょ、だから死刑だって認められるわけよ)」という点で合憲としているわけです。

続いて「(憲法第31条では)国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。(意訳:31条には逆説的にでも死刑が明示されているよね?読める?)」という文章が続きます。

ぶっちゃけ他の憲法条文での違憲説はこの判決によって否定されていきます。「ジャイアント馬場の脳天唐竹割りをうけたら跪かなければならない」レベルの黄金パターンといえます。

さて。

では今回の裁判、どこが目新しいのかっていうところです。実は判決理由にはこのような文章が記載されています。

[判決理由]
しかし死刑は、冒頭にも述べたようにまさに窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条に違反するものというべきである。前述のごとくであるから、死刑そのものをもつて残虐な刑罰と解し、刑法死刑の規定を憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ。

また最高裁判決には判決となった多数意見と別に裁判官それぞれの個別意見が表示されることがありますが、この判決にも4人の「補足意見」がついています。 補足意見とは「多数意見に賛成ですけれど、ちょっと意見を付け足したい」というものです。それが次の文章です。

[補足意見]
憲法は残虐な刑罰を絶対に禁じている。したがつて、死刑が当然に残虐な刑罰であるとすれば、憲法は他の規定で死刑の存置を認めるわけがない。しかるに、憲法第三十一条の反面解釈によると、法律の定める手続によれば、刑罰として死刑を科しうることが窺われるので、憲法は死刑をただちに残虐な刑罰として禁じたものとはいうことができない。しかし、憲法は、その制定当時における国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によつて定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがつて、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。かかる場合には、憲法第三十一条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。しかし、今日はまだこのような時期に達したものとはいうことができない。されば死刑は憲法の禁ずる残虐な刑罰であるという理由で原判決の違法を主張する弁護人の論旨は採用することができない。

はい、大事な文章ですから全文引用です。ぶっちゃけると次のような点が問題点として挙げられていることがわかります。

[判決理由]
刑罰なんてあいまいな社会的価値感によってブレる相対的なもんなのだから、時代や環境で否定されることもあるよ。
[補足意見]
「死刑制度は永久に不滅です」なんてことはないよ。あいまいな社会的価値感によって決まるものなのだから、後々否定されることもあるわな。

今回の裁判の主張のポイントは?

朝日新聞の報道によれば弁護人はこの補足意見をもとに「残虐と判断される時代になった。漫然と合憲判決を続けることは許されない。憲法の番人として英断を下すときだ」と主張しているわけですね。

ちなみに弁護人がいう「世論調査で国民の4割が将来の廃止を容認している」という世論調査は内閣府が行っている「基本的法制度に関する世論調査」のことを指していると思われます。

内閣府は死刑制度の世論に敏感で、必ず死刑制度について設問しています。その中に「将来も死刑存置か」という設問があります。

死刑制度に関して、「死刑もやむを得ない」と答えた者(1,270人)に、将来も死刑を廃止しない方がよいと思うか、それとも、状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよいと思うか聞いたところ、「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合が54.4%、「状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合が39.9%となっている。

令和元年度基本的法制度に関する世論調査
https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-houseido/2-2.html

ちなみにこれにプラスして「廃止(死刑は廃止すべきである)」と答えた者の割合が全体の9.0%います。弁護士の主張にほぼ間違いはないのですが、比較して「存置(死刑もやむを得ない)」と答えた者の割合は80.8%もいます。

ちょっとこの数字を考えると「時はきました(キリリッ)」みたいな主張はなかなか難しいかなとは思いますが、昭和23年当時と比較すればかなり情勢は変わったと言えるかもしれません。

ということで死刑制度違憲論ってなによ?

初めてこの文章を読んで頂く方々の中には「こいつも少数派の死刑廃止派だなッ!」みたいに思うことがあるかもしれませんが(実際時々リプライをいただきますが)、私自身は死刑制度存置派です。

ただ死刑制度違憲論というのは「多数決で決まらない廃止論」と言えます。昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決の判決理由には「国民感情による」とは書いてありますが、最高裁が「やっぱり主張通り残虐な刑罰なんじゃね?」となれば国民の9割が支持していようと廃止となるわけです。この点でとても重要な廃止論と言えます。

個人的にも「昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決から死刑廃止論は展開できるんじゃねぇのかな」と常々考えていたことだったのでちょっと書いてみました。

もっといえば「(補足意見ではなく)昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決[判決理由]からでも、多くの国で死刑が廃止されている時代や環境になったわけで、違憲判決は出せるんじゃね?」くらいのことを主張してもいいとは思いますし、また 昭和30年4月6日最高裁判所大法廷判決からも「この判決は各国と比較して我国の死刑執行方法は残虐じゃないよといっているわけで、もうこれが世界スタンダードとは言える時代ではないんじゃね?」とかも主張してみてもらいたいものでした。これも当時の状況とは大きく変わっているところだと思います。

どなたか法クラの方々、やってみてもらえませんかね(・ω・)?

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