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母校で講演してきたよ★カメレオンキャリアでいこう★前編

昨日は台風だったんですが、母校の神戸大学東京若手の会で講演の機会をいただきましてノコノコと出かけていきました。
台風で行けなかったので聴きたい〜って言ってくれた人もいたのでここに概要をアップしようと思います。

カメレオンキャリアでいこう

カメレオンって、背景の色に合わせて自分の体の色を変えて敵から身を守っていますよね。私がここで使っている「カメレオンキャリア」という言葉もまさにそんな感じで、●●一筋20年!みたいな生き方ではなく、ライフスタイルの変化や時代に応じて、働き方を変える(なんなら全く働かない時期もある)という生き方です。
私は期せずしてカメレオンキャリアで生きてきてしまったのですが、これはこれで意外に幸せなので何かしらみなさんの参考になれば幸いです。

そもそもよく聞かれる「MBA漫画家」という肩書きについて。ご存知のとおり日本のまんがって世界中にファンがいるとても素晴らしい文化なのですが、そのために、漫画家になりたい人、漫画の読者がほんっとにたくさんいまして。絵が上手い人もめっちゃたくさんいまして。ここに私程度の画力で参入したら血みどろな海、経営学用語でいうところの「レッドオーシャン」で、勝つのに苦労するわけです。
なので、「いや、漫画は漫画だけどね、経営学についてだけ描いてる漫画家だよっ」と名乗って、そういう仕事だけもらえるようになるといいな〜と夢見てる肩書きです。どうぞよろしくね!

そもそも私のキャリアなんですけど、大学を卒業したあと留学といったら聞こえがいいんですが、あんなもん遊学です、フラフラとバイトしたり海外でフラフラしたりして過ごしてまして。縁あって東京に戻ってきたのが2006年末。周りを見たら同じ神戸大学のときの友人なんかは、社会人3年目4年目を迎えており、みんな「ちゃんと」働いている。しかも社員寮とか住宅補助とかがあり、そういうのがない東京在住者は給料がめっちゃ多いといった感じで、ふらふらその日暮らしの私とはえらい差です。こりゃやばい!と思って焦って就職しまして。

小さな会社でしたがデザイナーとして入り、「他にできる人がいない」という理由で徐々にいろんな仕事を任され、自分も順応していたんですが、なんと会社が翌年なくなってしまいました。

そこから第二新卒扱いで転職したんですが、お給料が最低レンジのところから始まり、これは今までのフラフラ生活のせいだから頑張って挽回しなくては……と焦って深夜まで残業とかしていたところ、見事に体を壊しまして。同時にただでさえ少ない収入がさらに少なくなり、これはやばいと。一念発起して転職することに。でもこんな経歴ですからなかなか雇ってくれるところはありません。

それでも頑張って転職したところ、まさかの7時に家に帰れるまともな会社でした。ところが、2社連続で痛い目にあった私には、「この平和が一生続くなんて思えない」と若干トラウマがあります。そこで、せっかく定時で家で帰れるので、その余暇時間を利用して体力づくりをし、同時に、ふつうに就職していたらもう8年目になる同級生たちとの差を埋めたい!と経営学を勉強することにしました。ここからビジネススクール単科受講を経て2012年に入学します。

ところが、ビジネススクールに入ったタイミングで、父が経営する関西の会社がめちゃくちゃ忙しくなりまして。東京に人が必要、しかし社員だけでは間に合わない……お、長女がMBAとか取ろうとしてる。こりゃいいぞ、ということで、私に白羽の矢が立ちまして、いきなり東京営業所(一名だけど)の所長になってしまいました。でもなんだかんだでここでもうまく背景に溶け込んで生きていけました。

そしてその父の会社が落ち着いてきた頃、まさかの結婚をすることになり、それと同時に大学院で復習のために描いていた漫画ノートを出版しないかという話をいただきまして。

あ、ちなみにこんなノートです。毎回授業のあとこんなことをやってました。自分にとっては授業内容を少しでも頭に入れようと得意なイラストを使っただけだったんですけど、これがドッカンドッカン受けまして。

最初は全部一緒に頑張ろうと思ったのですが、出版って片手間でできるほど楽なことじゃなかったのと、妊娠という体の大きな変化で体調が悪くなりすぎまして。これはもう会社は無理だということで、執筆に専念するようになりました。

ビジネススクールなんかいっちゃうと、こんな雑誌に出てくるような人がたくさんいまして。私もこういう風にバリバリキャリキャリできると思ってたんです。

ところがいざ自分が妊娠してみると、仕事どころか電車ものれない。服も着替えられない。ソファから立ち上がれないほどしんどい。それが何ヶ月も続く。あ、体調が少しよくなったな、と思ったら流産。それが二回もあり、産後のホルモンバランスが崩れまくったりして心身共に疲れてしまいました。

またせっかく子供を授かることができても今度は保育園が見つからない。見つかったとしても最初は免疫がないからすぐに熱出して欠席……という感じで、朝昼晩ご飯食べて食べさせて風呂に入ったら何もしなくても1日が終わってしまう状態が結構頻発しまして。これは落ち着いて仕事どころではないなと。

VERYっていう雑誌に出てくるようなキラキラワーキングマザーに自分はなれないのか…と落ち込むようなこともあったんですけど、よくよく彼女らを見てみると、そもそも実家が近くて自分の両親の手を借りれるという最強カードを持っていたりする。一方でキャリアを継続するために単身赴任でワンオペになっていたり、食事は全部コンビニで済ませていたり、延長保育しまくっているなど、超人的な努力と犠牲を払っている。決してキラキラだけではないんですね。

で、ちょっと待てよ。と。自分はそこまで努力してこんな生活をしたいのか?と自問自答しました。生きてるだけで精一杯、まして、ホワイト大企業のように、戻る場所がありカバーしあえるようなチームがあるわけでもない。

というわけで、私の環境では無理なもんは無理!と割り切り、少なくとも今はがむしゃらに働くという生き方をしないと決断しました。

そうすることで確かにキャリアは断絶するんですが、幸いにして本を執筆するお話をいただいていたので家でコツコツ隙間時間に進めることができた。また、仕事一辺倒の生活をしないことで、イヤイヤ期の子供に対しても余裕を持って(といってもイライラすることも多いんですけど)あたれたり、食事を作ったり、体力づくりや知識のインプットをする余裕が持てるようになりました。収入はもちろん下がったのですが結果的に支出も減り、心の余裕は増えたわけです。

ところで、ベストセラーになった「ライフシフト」という本があります。読んだことがある人も多いかと思います。この本ではざっくりいうと、寿命が延びて我々の世代でも100歳くらいまで生きる人が珍しくなくなるだろうし、そういう人が増える時代、従来の80歳前後で亡くなる人生設計では太刀打ちできなくなるだろうということが書かれています。従来の3ステージ制、つまり65歳まで仕事一辺倒でやってきて、貯金と年金で15〜20年くらい生き抜くというライフスタイルでは、80くらいで死ぬならいいんですけど100まで生きるとなると貯金と年金だけに頼るのは35年…ちょっときついので、それならば老後のスタート時期を80歳くらいまで後倒しして、80くらいまでマルチステージとして、収入を得られる道を確保しなければならない。

ところが、一口に長期間働くと言っても、収入のためだけに与えられた苦行のような仕事をやり続けるとなると80までというのはとてもとても長すぎるわけです。だから、マルチステージの間に、仕事をしてみたり、そもそも自分には何が向いているかと探ってみたり、新たな技術を獲得するために勉強してみたり……といろんなことをやってみる必要がある。

従来の短距離走のような働き方ではなく、適度に休憩をとりながら長距離を走るような働き方へシフトしていく必要があります。そのためには自分自身の健康ももちろん大事ですし、時代の変化についていける能力、また何か勉強しようとしたときに導いてくれるような人脈といった無形資産もとても大事です。

で、この本を読んだときに思ったのが、あ、私の生き方ここまで振り返ってみると、止むを得ずカメレオンのように擬態してきたところもあるけれども、これはかっこよくいうと「ライフシフトなのかな」と。そういう風にとらえると、あながちダメダメなキャリアでもないじゃないかと納得できるようになりました。

<長くなってきたので二回にわけます>


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