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The chair man 椅子屋になった男の話#4

初めてのお店は東堀6番町
今のセブンイレブンの隣にあるビルの2F。(現:マッサージ店nest)

あまり人が来ないから、ドアの前でよく寝ていました。
人が来るとドアが頭に当たって起きるから。
結局全然お客さんが来ず、夜までずっと寝ていたこともありました。笑

店には高さ1mの立方体の黒い箱を作って
その上にイームズを置き、窓から椅子が見えるようにしました。
商品数が足りなさ過ぎて、苦肉の策でした。
そのお陰で現代アート好きのお客さんが来店したり。
その人は後に東京店(天童木工PLY)を出店する際にはとんでもないくらいお世話になり、今は大切な友人となりました(関谷さん)

時には
椅子が並んでいるのを見て
喫茶店と間違えたおばさん達が入ってくることも…。


半年ほど経った頃でしょうか、
たまたま向かいのWITHビルに高校の後輩がいて、
「家賃を安くするから引っ越しませんか」という提案を貰ったので
WITHビルの4F、タワーレコードの隣に引っ越しをしました。


その後、少しずつ売上も伸びてきました。

WITHビルの4階で2年ほど、後に引っ越して 同じWITHの3階へ。
その後WITHがリニューアルをするから出ていってくれと言われて、
古町のおでんやじゅんちゃんの向かいへ写りました。(現古着屋 nanos by TIME)
そこに2年。そこから東堀(現ヌマナミ)、その後 今の西堀へ。
この25年で、今までに6回引っ越しました。


けれど僕がやっていることは、その当時から1mmもぶれていません。
25年経って変わったことといえばブランドが増えたことくらいです。

マイケルヤング展

マイケルヤング展2


マイケルヤング展 WITHビルにて。

じゅんちゃん前

じゅんちゃん前2

おでんやじゅんちゃんの向かいの店舗にて

東堀6

アラタハジメ

       東堀(現ヌマナミ)の店舗にてハジメと




イームズ以外の家具を売り始めたのは、ロンドンに行ったのがきっかけでした。

店を始めて2年程経った頃、
当時付き合っていた彼女が留学していたので、彼女の誕生日 10月に
留学先のロンドンへ会いに行く事にしました。

その頃、マイケルヤングの商品が少し日本の雑誌に出始めていて、
それがすごくカッコよく、取り敢えず自分でサイドテーブルを購入しました。初めてイームズ以外がカッコよく見えたのです。
当時の僕には高い買い物でした。

ロンドン行きが決まった時、
((どうせロンドンに行くならマイケルに会いたいな))と思い、当時マイケルヤングの代理店だったE&Yの中牟田さんに連絡を取って
「ロンドンに行くからマイケルに会えませんか?」と聞いてみました。
すると、
「僕もその時期丁度ロンドンへ行くから、田村さん向こうで一緒に会いましょう」
という話になりました。




マイケルヤング

ロンドンにて、マイケル ヤングとジェレミー ロード(マイクロクローム作者)


マイケルヤング自宅

マイケル秘書

マイクロクローム

マイクロクローム。アパートメント にもミニチュア版があります。




ロンドンでの日々は、僕に大きな影響を与え
その後 ミッドセンチュリー以外の家具以外もお店で扱うようになりました。

多分それが無かったらアパートメント はとっくに倒産していたでしょう。

結局ロンドンには1ヵ月、アムステルダムに2週間滞在して、今では信じられないくらい様々なデザイナーに会ったり美術館に行きまくったり。
彼女とはその後すぐに別れてしまいました。
もう1年ロンドンに居たいと言われたのが大きな要因でしたが、いま思えば彼女を引き留めておく自信が無かったんだと思います。


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