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The Chair-man 椅子屋になった男の話#3

ジェイに言われた通り、
MODANICAの東京店に電話すると まず言われたのは、
「新潟で売れるんですか?」

((ちょっと待てよ、僕はカフェに置く椅子を探しているだけだぞ。))

その後、卸値の話も向こうからしてきたので、
新潟でのイームズの販売と勘違いされている事に気づき
ひとまず、「また電話します。」と伝えて電話を切りました。
どこかで話が交錯していたようです。

M君にこの話を伝え、どうしようか聞くと
「アラタはどっちがいい?」と聞かれました。

「カフェは無いけど、喫茶店はあるよね。でも椅子屋は無いよね。」


「じゃー椅子屋やる?」


そんな 嘘のようなきっかけで
椅子屋を始める事になったのです。

最初はイームスの椅子8脚と、
イサムノグチのUSEDのコーヒーテーブルがひとつ。
あとは色んな中古屋で
形がかっこいいなと思った椅子を500円で買って
5000円で売る、それが10脚ほど。そんな店でした。


中古屋があったのは栗の木バイパス沿いだったと思います。
店に入ると広い倉庫になっていて、2Fにのぼる階段は塞がれていました。
「おじさんこの上に何あるの?」と聞くと、「良く分からないから入るな」と言われました。
頼むから入れてくれ、とお願いして入ってみると、中は全部椅子でした。

その頃は、デザイナーの椅子という定義自体が無い時代です。
これは後々分かった事ですが、僕たちが中古屋で選んだ椅子はほとんど、
ちゃんとしたデザイナーの物でした。
だから、「見る目はあったよね」という話は今でも良くします。

さて、
店の名前は 「アトミックモダン 」にしました。
「アトミックカフェ」の予定が カフェではなくて椅子屋になってしまいましたから、
“モダン”な椅子、イームズを売る店として 「アトミックモダン」。



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僕は最初、椅子といえば本当にイームズしか知りませんでした。


僕がいた当時のアメリカではイームズの価値なんか無くて、
水抜きの為座る部分に穴を開けて外で使っていたくらいです。
それが80年代。価値は90年代から出てきました。
ブルータスのイームズ特集は、新潟では少しだけ追い風になりました。

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東京での人気は凄まじく、
イームズを販売していたモダニカ、モダンエイジギャラリーの2店は列を成していました。
その2店以外で日本でイームズをまともに扱っていたのは、
アトミックモダン(アパートメント)と、札幌のメトロポリタンギャラリー(現東京のメトロクス)だけ。
たった4店でした。

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つづく


追記:
良くわからないけれど、今思うとM君が子供の頃から貯めた定期預金の話は嘘じゃなかったのかと思う時があります。
単純に僕の事を気にかけてくれてたんじゃ無いかと。
だって変でしょ。子供の頃から貯めた定期預金て言ったって、当時彼が28歳くらいですから、
もっと貯まってるでしょ笑
どうやって僕を探したかも分かりません。探偵でも雇ったのかなあ。
俺が困ってるのを知って、動いてくれたんでしょうか、
今更それを聞くのも野暮だから聞きません。
M君とは今でも仲が良いし、5年くらいかかったけど、お金も全て返しました。
昔ほど会わなくはなったけど、年に一回くらいは会っています。

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